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映画レヴュー 『スケート・キッチン』



『and GIRL』2019年6月号掲載



映画の目利きでもあるミウッチャ・プラダ率いるMIU MIUの、短編映画プロジェクトで制作された 12分の作品が、本作の母体です。

スケートボードが大好きな女の子。
スケボーパークは、男子ばかりで、ミスる自分に彼らの笑いが突き刺さる。

でもチャレンジ。
でも転ぶ。

そこへ差し出された手と、「あんた、いい感じだよ」の声。
味方がいる。女の子スケーターのチームだった。



MIU MIUのドレスをスケーター流に着こなし、スケボーで舞い踊る女の子たちが美しく、熱い気持ちにさせてくれた短編が、106分の青春映画になりました。
鮮烈でリアルであたたかく、新しい。



『スケート・キッチン』は、実際にニューヨークで活動する女子7人のスケーターチームの名前です。

「女性はキッチンにいるべき」なんて硬直した考えは、スケボーではね飛ばしてやろうと結成。
主人公のレイチェルをはじめ、実際のメンバーが自身を演じています。

ジェイデン・スミスは、この映画には数少ないプ口の俳優。
父親ウィル・スミスと同様に俳優&ラッパーとして活躍するティーンのカリスマですが、スケーターとしてのレイチェルのインスタをフォローしたのが、キャスティングのきっかけだとか。




そのレイチェル演じるカミーユは、ニューヨークの郊外に住む17歳。
ママと2人の暮らしは息苦しくて、スケボーに熱中していたい日々。

でも、ある日ケガをしてしまい、ママからスケボー禁止の命令が。

隠れてやるしかないと、少し遠征したスケボーパークで、「スケート・キッチン」のメンバーと知り合う。



ママがイラついてる自宅のキッチンに比べて、このキッチンはなんて居心地がいい!
友情を深め、今まで 知らなかった感情を知っていく。



恋愛もそのひとつ。
でも、周りの男女や女女のカップルを見ていても、恋する気持ちがよくわからない。
そんなとき、ジェイデン演じる男子と距離が縮まって、気が合う。
楽しい。
でも、そのことが周囲と力カミーユ自身によくない変化ももたらして。



この映画では、スケーターの演技や表情が自然で、言葉に心が宿り、それぞれの個性が光っています。

監督・脚本のクリスタル・モーゼルは 30代の女性で、ドキュメンタリーで活躍。
メンバーに取材し、ともに生活し、メンバーの経験をもとに脚本を作り、撮影しながらドラマを固めていった、その手法だから実った結果だと思います。




また、スケーターたちのあり方や考え方を内側から見つめた映画だから、スケボーの、他の遊びやスポーツとは違う特性も、芯を捉えて見せてくれます。


各自の技術を競うけれど、相手を倒すことを必要としない。
パークで、さらには撮り合った映像で、スケーティングのアイデアや技術をお互いに賞賛し合う文化。


でもその一方、お互いの賞賛は男だけのものでした。

そんなの変だよ、と滑り出す女の子たち。
パークで孤独だった女の子たちの結びつき、連帯がかっこいい。



さらにはそれが、パークだけでなく社会全体にもあることだ、そこまで映画の視野に入っています。

男か女か、二極で対立したり恋愛したりしかできないっておかしいよね、とドラマで描いてみせます。




カミーユが、自分は女で、女だから男と同じようにはできないと決めつけられるのを納得できない、その悶々を「イエローが好き」と表現するのもいい。
男の子の色=ブルー、 女の子の色=ピンクでもなく。

若さのきらめきから、新しい価値観、考え方が見える。
素晴らしい青春映画、未来の光が届く映画です。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:54
映画レヴュー 『Girl /ガール』


『and GIRL』2019年7月号掲載



男の子の身体に入って生まれてきたけれど、このいれものは違う。

女の子の身体が、私のはず。

その強烈な違和感で張り裂けそうになっている15歳のララが、『Girl』の主人公です。
それだけ聞くと、ララの違和感と周囲の無理解が衝突する物語を想像しますが、この映画では、父親はその違和感を理解しています。



そして、ララには夢が。
バレエのトップダンサーになること。

もちろんバレリーナ、女性ダンサーとして。

バレエ大国ベルギーで、レベルの高いバレエ学校に編入。
環境は整ってる、あとはがんばるだけ。



そう見えますが、ここから細やかに物語を作ろうと挑んだのが、ルーカス・ドン監督。
整った顔立ちのまだ20代、この長編デビュー作がカンヌ映画祭で受賞、一躍スターに。

子どもの頃に「女の子っぽいこと」を好む様子を笑われ、そんな自分を封印した経験があると語る監督が自ら書いた脚本のアイデアは、地元の新聞記事から。

男の子の身体でバレリーナを目指す15歳のノラ、自らのセクシュアリティを公表して夢に挑んでいる。
その勇気ある存在がきっかけだからこそ、カミングアウトをめぐる混乱や対立のさらに先を描く物語に。



ララを演じるのは、自身もバレエ学校に通うダンサーのビクトール・ポルスター。
透けるような美しさの彼はトランスジェンダーではなく、女性として踊った経験ももちろんありません。

つまり、演技にもダンスにも強い負荷がかかっていて、しかもこの映画は、ドキュメンタリー的な手法を取っていますから、「ララという女の子として存在すること」への要求は高度。
そのすべてに、彼は全身で応えています。


燃えるような強烈な自我と、危うく揺れる繊細な感情。
そして、その2つがぶつかりあったときの痛ましさ。
何度も、胸が詰まるような瞬間を表現してみせるのです。


監督は、自作にとって最高の宝を探り当てたと言えます。



ララは希望したバレエ学校に編入。
職を変えてまで応援してくれる父親と6歳の弟と引っ越してきて、新生活が始まる。

性転換手術への準備もスタート。
成長を待って行うため、ホルモン治療から、慎重に。

けれども15歳の心と身体の変化は著しく、ララは男性になり始める身体と、それを望まない心で引き裂かれそうに。



身体の変化はバレリーナとしての鍛錬にも焦りを招き、同級生も思春期の只中にありライバルでもあるから、悪意の自覚なく「シャワー浴びないの?」などとララを追い詰める。


恋愛はまだ考えない、と思っても 自分でコントロールできることじゃない。
芽生える欲望はあって、でも頭も心も追いつけなくて。



苦しんで、苦しんで。
それでもララにはバレエの舞台に立つ夢が。



この映画を観ていると、ララと条件や程度は違っても、心と身体の変化や矛盾に苦しんだあの頃が、思い出されてくるはずです。


思春期ってしんどい、苦しい。
親の理解があっても、その苦しさには変わりなく。


父親を一度も敵対的な位置に置かないこの映画には、親との対立が当たり前でなくなった若い世代ならではの視点を感じます。



わかりやすい敵を置かないこともそうですが、ドラマを盛り上げるお定まりの方法を慎重に避けるのが、この映画の特徴。
それだけに、ことが起こった際の衝撃は大きく、思わぬ展開が待ってもいます。



男の子の身体でバレリーナを夢見るという特有の状況が逆に鮮明にするのは、思春期の苦しさ、という普遍。
その痛ましい輝きに、目も心も奪われます。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:43
映画レヴュー 『COLD WAR あの歌、2つの心』『メモリーズ・オブ・サマー』
『In Red』2019年7月号掲載




ポーランドの名産品は 琥珀と刺繍と映画監督



アウシュビッツ強制収容所の所在はポーランドであり、ナチス・ドイツが去って戦後は、ソ連の支配下に置かれた。
ソ連崩壊後の現在、EUの大統領をポーランドの大統領が兼任している。

ほんの100年弱を振り返っても、この流転。

そんなポーランドが世界に誇る名産は、映画監督だ。
ワイダ、ポランスキー、スコリモフスキ。

映画への信頼と切望と。




数々の賞に輝き、その名産の列に加わるパヴェウ・パヴリコフスキ監督の新作『COLD WARあの歌、2つの心』 は、88分の濃密なラブストーリー。

唄声から始まる。
スターリン独裁下のソ連の指示で、ポーランドでも民族性への回帰が進められ、民族舞踏団を結成するため、農村の唄自慢が集められる。

その中に、ズーラがいた。

他の娘たちの純朴からハズれた、色気と自信。
指導者であるはずのピアニストのヴィクトルは、一瞬で心をつかまれる。

それから15年の激しい愛の成り行き。
ソ連に振り回されるポーランドの政治情勢が、影を落とす。




密告、亡命、裏切り、再会、すれ違い、再会。

痛めつけ合っては惹かれ合う、離れがたい二人。

混ぜたら危険、なのに混ざらずにはいられない。

監督はこの物語を、「とにかくどうしようもなかった」と振り返る自身の両親の関係を母体に、書き上げたと言う。




そして選んだ手法は、その愛の歳月を断続的に描くこと。
映画は何度も黒く断絶する。

愛という理不尽を描くにはふさわしく、叙情は途切れるどころか濃厚に。
モノクロの映像は各カットが一枚の絵画や写真作品のようで、相手にのばす腕、憂いに湿った唇が強烈な印象を焼き付ける。




自分を失っても、という愛のあり方をズーラは許容しない。

絶対に自分を手放さず、絶対に相手を求める。

心は一つにならず、二つのまま求め合う。




10代からの15年、それぞれのズーラの輝きと陰りを演じわけるのは、ヨアンナ・クーリク。
その変貌ぶりと、邪気をはらんだ色気が素晴らしい。

そして、音楽だ。
民族舞踏団で唄われる故郷の歌「2つの心」が、亡命先のパリではラブソングに。
「オイオイオーイ」とも「オヨヨーイ」とも聞こえるポーランド語で唄われるそのメロディは、映画がおわっても、心に響き続ける。





愛にうなされ、愛に危険運転をされる。

愛が奪うのは相手ではなく、自分だ。

見えない獰猛な怪物、としての愛。
それを見せてくれるのが映画なのだと、この映画は確信させる。





そのラストシーンから10年余りを経た70年代末の夏を、『メモリーズ・オブ・ サマー』は描く。
ポーランドが位置するのは、北海道より北、夏は短く、待望される。

けれど、12歳の男の子ピョトレックは憂欝だ。

高度成長に沸き、父親が外国へ出稼ぎに行ってしまったから、だけではない。
美しい母を僕が守るはずなのに、様子がおかしいのだ。




まるで、夏の観察日記のような83分。
キーアイテムは、この時代らしい流行歌謡とワンピース。

緻密にして正確、そして詩的な、特別な時間の記録。





12歳が感じる、母親の変化、不穏な気配。
田舎町の夏の退屈。
男の子同士の付き合いの厄介。
気になる女の子。
言えない言葉。
裏切り。
他者との境界。
自我の輪郭。




その混乱に臨場する映画だ。
美しい瞬間に、何度もまぶしくなりながら。

できごとを螺旋状に構成して連鎖させ、昆虫を捕まえるような繊細な息遣いと手つきで、大人の手前の特別な夏を映像に固定していく脚本・監督は、アダム・グジンスキ。




2本の映画ともに、ラストシーンが鮮烈だ。
ひとつの言葉、ひとつの動きに多くを託すことができる、映画の懐を彼らは信じている。
だから、とどく。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:35 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー 『ドント・ウォーリー』
『and GIRL』2019年5月号



タイトルの『ドント・ウォーリー』に、
英語の原題では続きがあります。
訳すなら「大丈夫、遠くまで歩いてけやしない」。

これは、事故に遭って車椅子生活になった漫画家ジョン・キャラハンご本人が、そうタイトルをつけた回想録の映画化です。

映画の中で使われている彼の漫画でも、このセリフを、追っ手のカウボーイたちが置き去りになった車椅子を見て言います。


なんて苦い。


でも自虐におさまらない、痛快さも感じとりたくなりませんか。
「脚で」は行けないとしても、「頭で」ならば、どこへでも。

そういう意味もあるかもねという思いは、映画を観終わると、確信に変わります。
実際、キャラハンは車椅子生活になってから、新聞のひとコマ風刺漫画家としてデビューしたのですし。


演じるのは、ホアキン・フェニックス。
その暗く悲しい瞳で、キャラハンが自分を持て余している人物だと感知させます。


胸から下が麻痺の重傷を負ったのは、バカげた事故のせいでした。
ひどいアル中で、友人と泥酔して遊びまわった、その結果。


歩けないし、アル中だし。


そこから、彼は自分をどう立て直すのか。そもそも彼はどうして、酒に溺れてしまったのか。


自己否定におびえ、怒りで何重にもガードを固め、こんがらがっていたキャラハンが、すこしずつほぐれ、肩におかれた誰かの手の温かさを感じられるようになるまでを、映画は丁寧に描いていきます。


この回想録の映画化はもともと、コメディアンからスタートして人気俳優になったロビン・ウィリアムズが熱望。
キャラハンと同じ街で暮らす、友人のガス・ヴァン・サント監督に相談していました。
猛スピードで車椅子を走らせる姿を、監督が実際に近所で見かけてもいたから。


しかし、ロビンは自らこの世を去ってしまいました。


あらためてこの企画に向き合った監督は、ホアキンを主役に。
ドラッグの過剰摂取で23歳で逝去した、ホアキンの兄のリヴァーも、監督の作品に主演、友人でした。


もう会えない人たちへの思いが、かけられなかった言葉が、この映画には織り込まれているのです。


ジョナ・ヒルとジャック・ブラック、コメディアン出身の2人のキャスティングにも、ロビンの影が見えます。
ヒルが演じるのは、断酒会を主催する富豪。
世を俯瞰する不思議な佇まいに、すっかり痩せてちょっと美形になった容姿が相まって、なんとも色っぽい導師に。


彼は、12のステップを提示して、キャラハンを導きます。

例えば、何を神様だと思ったっていい、ホラー映画のキャラクターだっていい。
そう言って、神の前の自分の無力を心得ることに意味があると教えます。


すべての人に、助けが必要。
弱さを自覚して助けを求められれば、助けを得て、強くなれる。


キャラハンが、困らせ悲しませた人々に次々会いに行くステップは、どこか現実味が薄く撮られていますが、わかってくるのは、彼の悲しみの根っこは、生まれたそのことにある。

でもそれは、幼少期母親に捨てられた怒りよりも、生まれてしまった自分の存在が母を苦しめたのではないかという思い。
だから彼には、誰かに許されることが必要でした。


「許せない」は「許されたい」の後ろ姿なのかもしれません。


「ドント・ウォーリー=大丈夫」は、許しと受け入れを軽やかに表明する言葉でもあり、抱き寄せて背中をぽんぽんするときに思わず出る声でもあり。
大事な人に示したい、示されたいのは、そういう気持ちだよね、とこの映画は観客と、もう会えない人たちに伝えてきます。



追記/

キャラハンの風刺漫画家としての活躍は80年代に始まり、読者のモラルを揺さぶる狙いとはいえ、性差別的な展開をするネタも少なくなかった。この映画はその点をスルーせず、ぴしゃりと言及するシーンをつくっている。「当時のことだから」では、済まさない。

実話という過去を映画に仕立てる際に、そうした目線はとても重要だと思う。

クリント・イーストウッド監督の最近の作品をきっかけに、「実話の再現」の身勝手について考えていることもあり、この映画がそこで逃げをうたないことに感銘を受けました。


# by hiromi_machiyama | 2019-05-11 17:16
映画レヴュー  『ビリーブ 未来への大逆転』

                                            『and GIRL』2019年4月号




Tシャツにもマグカップにもワークアウト本にも物真似ネタにもなっている、現代アメリカのアイコン。

それはコミックのスーパーヒーローではなく、もうすぐ86歳になる女性。


『ピリーブ 未来への大逆転』は、そんな人物の伝記映画です。


RBGとイニシャルで呼ばれることも多いその人を描いた絵本の日本版タイトルは、『大統領を動かした女性ルース・ギンズバーグ 男女差別とたたかう最高裁判事』。


女性として史上2人目の最高裁判事で、在職25年以上。

お堅い法衣に、白いレースの襟飾りをあしらうのがお決まりの、おしゃれなマダムです。


アメリカの最高裁判事は9人ですが、ルースに集まる人気と信頼は圧倒的。

昨年体調を崩した際は、その無事を祈ってクリスマスツリーにルース人形を飾るブームが起きたほどでした。


最高裁判事の任期は終身で、任命するのは大統領。

トランプ大統領のもとで3人が交代、もしルースが去ると、判事9 人の構成に思想的な偏りが強まる懸念からも、彼女の存在は「トランプ的なアメリカを望まない」「公正で平等な社会を希求する」人たちにとって、頼みの綱であり希望であり。



そんなヒーローの2030代はどんなだったのか。

ご本人の甥が脚本を書いたこの映画は、ハーバード大学法科大学院の入学式から始まります。



時は1956年。

超名門校の500人の学生のうち、女性はたったの9人。


男性エリートの育成を目指して運営され、女性は想定されていない状況。

しかもルースは、子育ての真っ最中にあって。


貧しい家庭に育ち、母親を早くに失い、必死に勉強してきた彼女は、大学で出会い、結婚。

この夫が、料理の苦手なルースをキッチンから遠ざけて得意の腕を振るい、子育てに当たり前に参加、妻の才能や活躍を素直に喜べるという、なんとも理想的なお方。


しかも演じるのは、育ちも顔立ちも整いすぎるほど整っているアーミー・ハマーゆえ出来過ぎとひがみを言いたくなりますが、こういうお相手を見つけられるのもまた、ルースの才能であり賢さなのかも。



でもどんなに優秀でも、自分のいる社会や時代を選ぶことはできません。


ルースは学内では女だからと教官たちに軽んじられ、それでも猛勉強してトップの成績で卒業したのに、就職できない。

次々に断られてしまって、目指していた弁護士になることができない。


その理由の一例が、もし女性を会社に入れて一緒にがんばると「奥さんたちが嫉妬するから」。


これ、男性の多い職場に女性が加わるときの、意外なあるあるです。

「あなたや奥さんが思うほど、あなたは男性として魅力的じゃないですけど」と言ってやりたくなる、腹の立つ言いがかり案件。


ルースはそうした自身の体験からやがて、女性そして立場や力の弱いあらゆる人が不当に扱われている現状を変えようと活動を始めていきます。



けれども、70年代の社会 はまだ、女性を差別していることにさえ気づけていません。

先の見えない闘いを、彼女はどうして続けることができたのでしょうか。



監督のミミ・レダーも女性です。

今でも女性が少ない撮影技師を志し、職人的な監督としてキャリアを積んできた60代。

ルースの苦闘に、自身の経験を重ねたに違いなく。



ルースが大切にしているのは、「疑問を持ち続ける」こと。

疑問を持てば、学びたくなる。夫からも娘からも学べる。

この映画はヒー口ーを、学び続ける人として描きます。



疑問を手放さない、そこからなら偉大な先輩を真似できるかもしれないと勇気が湧いてくるはずです。


# by hiromi_machiyama | 2019-05-11 16:57
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