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『活字が・書いた・テレビ』連載第一回
TBSテレビ発行 『調査情報』
488号(2009年5-6月)掲載
雑誌購入サイト「富士山マガジンサービス」


『テレビと活字メディアの摩訶不思議な愛憎関係』


テレビはいろいろ書かれる。

新聞や雑誌やネットが番組を取り上げてくれるのは、ありがたい。
大歓迎が基本姿勢。

とはいえ、その記事には、「なんだ、それ?」が多すぎやしないか。

「批評の不在が我々の衰退を……」、なんてことは言わない。
人のせいにしちゃいけませんって幼稚園で教わったし。

でも、書かれっぱなしってのも、どうなんでしょうか。

テレビに関する記事は
「視聴率の奪い合いよりも番組の質を高める努力をすべき」
でシメれば一丁上がり、
その正論をひたすらコピー&ペースト。

かと思えば、「低視聴率で撃沈!」と楽しそうに書きたてる。
どっちなんだよ。

もちろん、分かってます。

記事の中味がどうあれ、そのタイトルは
テレビもしくは番組を「ぶった斬る」でほぼ統一されてるんだから。
目的はお察しします。

でも、わだかまる。

「それ、違うよ」をそっと申し出たい。
「どういうつもりだ」と笑顔でにじりよってもみたい。

そこで、テレビ局が作る雑誌という、
雑誌なんだけど立ち位置はテレビ側のこの場に連載を始めるにあたって、
「テレビは活字にどう書かれているのか」をお題に掲げてみた。

本欄では活字を「ぶった斬る」どころか、
刀を振り上げるつもりもさらさらなく、
刀に吹きかけるかのように口に含んだ酒を、ごっくん。

「ごっくんしてません」
と言い訳して在任半年足らずで去った大臣もいたが、
せめて半年は続くよう、以後よろしくお願いします。



ちなみに連載タイトルは、
『私が・棄てた・女』からいただきました。

しかし、遠藤周作の小説とも浦山桐郎の映画ともほぼ無関係。
「棄てた女」のような無垢の心を、テレビは持たない。
むしろパンツのヒモは、ゆる結び。

ただ、求められるまま愛されるまま記憶されるまま、
相手の欲望や空白を映し出す「女」にテレビは似ているかもしれないし、
女に例えるという行為そのものが、
いまだむき出しのセクハラ発言がまかり通るテレビ業界に、
ふさわしくもある。

そんな場所は他に、イチローの脳内以外、どこにあるのか。
いや、
イチローの発言をもてはやすスポーツ新聞や雑誌やネットも同じか。

そして、前途有望な大学生の「私」と
女工である「棄てた女」の間にあった格差が、
活字とテレビの間に立ちはだかっているかといえば、
ほんのちょっとだけある。

さらに、大手出版社の週刊誌とテレビの間には、
男女とはまた違う、愛憎関係らしきものもからんで、実にめんどくさい。

19歳からテレビ業界で働き、
20代前半から時々雑誌や新聞にコラム等を書くようになった私は当初、
テレビのおじさんと活字のおじさんの関係にとまどった。

読者と視聴者の規模の違い、年収、
飲み屋のおねえさんからのモテ度などに由来する、ライバル意識。
それでいて、
テレビのおじさんは雑誌の記事をびっくりするほど鵜呑みにし、
活字のおじさんはテレビ番組がどう作られているのかを
びっくりするほど知らない。

この人たちはどうなってんのか。

私はおおいにとまどったがほどなく、
この関係はテレビ局と大手出版社、
そこに勤める正社員のおじさんたちに限定されることに気づいた。

同じような大学、同じような文化圏出身の男同士。
だからこその、ライバル意識と微妙な敬意。

大学にも通っていない出入り業者で女、
とほぼ部外者の私にはよく分からないが、
どうやらそういうものがあるらしい。

ただ、我々放送作家はこうしたおじさんのもみ合いのおかげで、
ちょっと得をしていると思う。
話題の番組について、雑誌の人たちはテレビ局の担当スタッフよりも、
放送作家に光を当てることが多い。

番組は、
もちろん例外もあるがほとんどの場合、ディレクターのものだ。

にもかかわらず、余分な光を放送作家に当ててくれる人たちがいる。
活字の仕事をしていると
「字を書く人」を過大評価してしまうからかもしれないし、
青島幸男や野坂昭如や永六輔などの先輩の威光も
影響しているのだろうが。

一方、新聞のおじさんとテレビのおじさんの関係は、どうか。

おばさんになった私はもちろん、
新聞のおじさんがテレビの社長になることを知っている。
そしてその逆は、ない。
そういうことだ。

そんな新聞がテレビをどう書くかといえば、
女目線とやらがやたらに活躍する。

女性記者にイケメンを語らせ、
投書欄では男性タレントへの劣情をぶちまけた
中高年女性のうっとり告白を繰り返し採用。

男女を置き換えてみれば、事態は明白だ。
男性記者が10代の女性アイドルのヌードシーンを喜び、
中高年男性が女優への妄想をつづった手紙が誌面を飾る。
そんなことが実現するだろうか。

男と違って、女の劣情の流布には犯罪を誘発する力がない、
なんて過小評価は失礼だ。
女だって、やる。

最近のテレビは視聴率欲しさに、おばさんに迎合しがちだ。
それは事実。
だからといって新聞が、それをさらに煽るのはどういうわけだ。

次回から、実例を取り上げていきます。
まずは朝日新聞の最終面、テレビ欄の「試写室」に注目する予定。

読者の皆さんから日頃の不満、
「自分の番組についてこんな記事書かれて酒がまずい!」という陳情も、
ぜひ編集部にお寄せください。
お待ちしています。
by hiromi_machiyama | 2009-11-03 01:00 | 活字が・書いた・テレビ
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