誰かを救いたい。
ヒーローになりたい。
宇宙人と友達になりたい。
ロボと一体化したい。
大きな銃を撃ちまくりたい。
ひとりの女の人を愛し続けたい。
男の子の夢全部が、この映画にはつまっている。
中学生のときに見たら、完全にやられてしまうだろう。
涙をこらえて映画館を出たら、自転車で猛ダッシュ。
吠えながら走って、むやみに遠回り。情熱が空回り。
そんな愛すべきバカを増殖させてしまう、スゴい映画だ。
けれど最初の20分は、そんな熱い映画になるとは思えない。
てきぱきと、シニカルに始まるからだ。
偽ドキュメンタリーの手法でいきなり、
「すでに起こったこと」として設定が淡々と語られる。
南アフリカの首都ヨハネスブルグの上空に巨大なUFOが停留していること。
そこにはエビ型の気持ち悪い宇宙人が大量に乗っていたこと。
彼らは何らかの難を逃れて地球にたどり着いた、難民であること。
地上に降ろされ、第9地区と名付けられた場所に隔離されたこと。
別の言語を話し、違う文化や習慣を持つ彼らとの共存が困難なこと。
追い出せ、殺せ!と激しい排斥運動が起きていること。
ダメなSF映画一本分の要素を、
これから始まる話の前提として、あっけなく処理。
そして、この設定が南アの人種隔離政策、
アパルトヘイトの比喩であることも早々にわからせてしまう。
さらに、中心人物らしい男は、軍事企業のサラリーマン。
しかも、出世と自分の幸せで頭がいっぱい、
現状に満足していて、良心や他人の思いなどまったく理解できない、
クソ野郎だ。
観客の感情移入を拒んだ、始まり方。
「きっと、人種差別や出世にとらわれているような、
ろくなやつのいない地球が滅びる様を冷ややかに描く映画だろう、
破壊の快感をどのくらいそそってくれるか見てやろうじゃん」、
観客をそんな温度の低い、ちょっと斜に構えた気にさせる。
ところが、だ。
心ある観客は、映画が終る20分前には、
クソ野郎だったはずのヴィカスに同化することになる。
「いつも自分のことで頭がいっぱいだけど、
こんな風に本当に本当に自分が試されるときには、
正しい行いをしたい。
友達を救いたい。
クソ野郎のまま死にたくない。
ヴィカスがんばれ!俺もがんばる!」
そんな熱くて青臭い感情がこみあげてくる。
そしてラストはロマンチック。
意表をつく、ツンデレな展開が素晴らしい。
自ら脚本を書いた監督は、まだ30歳。
南ア出身の、元VFXアーティスト。
『ロード・オブ・ザ・リング』で大成功する前の
ピーター・ジャクソンがその才能にほれこみ、
自主製作の体勢でこの映画を作り上げた。
当然、低予算。
キャストも無名。
だが、アイデアと情熱は圧倒的だ。
大予算のSF映画だったら、
感情移入を阻むこんな始まり方は許されないだろう。
主人公も「ごく平凡な」と言いながら好感度の高い人物になる。
この映画のように本当の意味で等身大の、
よくいる普通のクソ野郎が主人公になることは少ない。
そして、アパルトヘイトへの批判にとどまらない告発も、
こめられた映画だ。
他者への無理解、不寛容を鋭く突く。
筆者の私的な体験になるが、
父親が韓国人なので16歳で指紋押捺をしに役所に行ったら、
窓口の英語の看板に「エイリアン」とあり、
自分はあの映画のあの化け物と同じくらいよそ者なのか、
と胸にささったことをこの映画で思い出した。
スゴい、そして熱い傑作。必見です!