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川勝さんのこと、など
川勝正幸さんの存在を認識したのは、87年の春から放送されていた日本テレビの深夜番組『ニッポンテレビ大学』だと思うが、あまり自信がない。
その頃私は放送作家になりたてで、それでも夜遊びをしたいもんだから、少しの睡眠時間で起きられるように、薬局で嘘をついて購入した利尿剤を飲んで尿意を目覚まし代わりにする(ついでに酒も抜けるだろうと考えた)というむちゃくちゃな生活をしていて、記憶がまるで曖昧なのだ。
とにかく、川勝さんがその番組の構成作家で、時々わけのわからない役割で出演していたことは確かで、おもしろそうな仕事をうらやましく見ていた。

そして、初めて会ったのがいつだったかも、よく思い出せない。

2月11日に青山葬儀所で開かれた、川勝さんのお別れ会に、私は場違いなGジャンを着ていった。
背中にはマジックで書かれた、デニス・ホッパーのサイン。その下にハートも描いてくれたのが自慢だ。川勝さんのおかげでもらえた宝物だから、失礼を承知でそのGジャンを着て、会に参加した。川勝さん、ありがとう。

サインをもらったのは、89年の秋、川勝さんたちホッパー招聘委員会が初来日を実現させた際のウェルカムパーティーだった。
この時に、ホッパーが連れていた美人新妻が翌年に生んだ息子が、先頃公開されたガス・ヴァン・サント監督の『永遠の僕たち』に主演したヘンリー・ホッパーなのだから、人ひとりがすっかり大人になるほど昔の話である。
このサインをもらうしばらく前に何回か会っていたことは、間違いないわけだ。

すでに川勝さんは私の兄を知っていて、仕事もしていたから、「広美さん」と呼ばれてしまい、そのことにちょっと落ちつかない気持ちだったのは覚えている。
下の名前で呼ばれやすい女とそうでない女がいるが、私は圧倒的に後者で、例外はとても少ないのだ。

「お兄さんのことを知っているから、なにか妹のような感じがしてしまう」とも川勝さんは言っていたが、その言い分に反して下ネタ、ビロウトークが多かった。
「お兄さんは最近こんなセックスをしたらしいですよ」とニヤニヤ。他にもみうらじゅんさんとか、兄のセックスを私に報告してくる人はいたのだが、川勝さんは低く深い声でゆっくり言うもんだから、ことさら記憶に残っている。

兄、元夫、山ほど共通の知り合いがいるから、この20年あまりの間にいろいろなところで会った。
03年、ジョアン・ジルベルトの初来日が実現した初日、開演時間をたっぷり過ぎた頃にロビーで「ただ今、ジョアン・ジルベルトは会場に『向かっております』」という絶妙の場内アナウンスを聞いて大いに喜んだ時も、川勝さんが一緒だったと思う。
当然ながら、試写会でも何度となく会ったが、そんなに話もしなかった。
何年も会わないままだった時期もある。

特にここ10数年は、川勝さんの仕事ぶりをあまりちゃんと見ていなかった。
まわりがいろいろ変わっていくなかで、スタンスが変わらないとは感じていた。

年を重ねてくると、「好きなものを好きでいられること」の難しさがわかる。「もう、ああいいうのはいいや」と言ってしまうほうが楽になれる。乗れないのではなく、降りたのだと、自分を慰めればいい。
でも、川勝さんは、好きを続けていた。

素晴らしい目利きだったが、小説や映画など、狭義の意味での「作品」を発表することはなかった。
これは少し失礼な物言いになってしまうかもしれないが、そのことにどんな思いでいたのか、「作品」をつくれずにいる私は、いつか聞いてみようと思っていた。
ホッパーにしろ、デヴイット・リンチにしろ、ジョン・カサヴェテスにしろ、ゲンズブールにしろ、勝新にしろ、川勝さんがことさら愛したのは、俺濃度が
極めて濃い作り手たちだ。
そして周囲にも、作品をつくる人がたくさんいる。ずっとその中にいて、締切をやり過ごしながら、どんな思いでいるんだろう。

そんな時間が長くあって、誰かのツイートをきっかけに「現世で『御用牙』のオープニングよろしく精進せねば!」とつぶやく川勝さんに話しかけたのは、検索してみたら一昨年の6月のこと。
剥けちゃいけない皮が剥けることを心配してみせたら、「『御用牙』のくだり、見栄であります」という返事、またしてもビロウトークである。

そして11月、『INVITATION from SPIKE JONZE』の試写で偶然会った。私が結婚している間は「町山さん」だった呼び名がまた、「広美さん」に戻っていた。妙に律儀な人である。

少し呑んだり食べたりしませんか、ということになったのは、宣伝のミラクルヴォイスの、伊藤社長はじめ女性3人が一緒だったからだと思う。渋谷なので、川勝さん行きつけのミリバールへ。
短く終る約束だったが、その夜はとても盛り上がった。とにかく川勝さんがよくしゃべった。私と川勝さんがしゃべるのを、トークショーよろしく、他の3人に聞いていただくようなかたちになっていたと思う。

Twitterで声をかけたときも、「以前、ナンシーさんや町山さんから顰蹙をかっていた”恋愛体質”はすっかりなりをひそめ」と書いてきた川勝さんは、その話をしたかったらしい。
「ナンシーさんから最後に言われた言葉が『川勝さん、そんなに若い女が好きか』で‥‥でも、あれは違うんですよ!」。
どう違うのかは、私がここで勝手に書くわけにはいかないが、自分の話はあまりしない人と思われているし、私もずっとそう思ってきた川勝さんが、その夜は恋愛について赤裸々に話した。
もちろんビロウトークにも発展し、「そんな話、私が聞いちゃっていいんですか」と言うと、「年のせいか、歯止めが利かなくて」。



楽しい夜だった。また近々に絶対呑みましょう、と約束して別れた。

しかしその機会もなく、12月の末に、『コーマン帝国』の試写で一緒になったのが最後だった。
一緒になったと言っても、上映中にあの笑い声が聞こえてきて、「あ、川勝さんやっぱ来てるか。笑い声うっさいよ」と思い、でも次の仕事に急いでいたから現場で声はかけず、Twitterでそれを伝えた。
「本当は、銀座でココロゆくまで、 @mcym163 さんとコーマン話に花を咲かせたかったです。」という返事。ビロウトークで終ったのは、くだらなくて、ちょっとうれしい。

とても長く知っているのに、実は、仕事をほとんど一度もしたことがない。『タモリ倶楽部』に川勝さんが出演した時に、台本を書いたことがあるくらいだ。

しかし渋谷で話した夜、川勝さんは私に、本の企画を2冊提案してくれた。
1冊は、そういう話は他にないわけではなかったが、それを提案すると私が不機嫌になるので、最近はほとんど言われなくなった企画。
「広美さんがどうしていやがるかもよくわかってるつもりですが、だからこそ広美さんが書くのがいいんですよ」と川勝さんは言った。
もう1冊はとても意外な、企画。そんな風に私を見ていたのかと、驚いた。
私がどちらも書ける気がしない、つきあってくれる編集者のアテもないと答えたら、「じゃあ誰もいなかったら、僕が編集やりますよ。僕はいろいろやりますけど、やっぱり編集者だから」。

川勝さんがいなくなったことで、何人もの男の人が泣くのを見た。仕事の思い出を話すのを聞いた。
一緒に仕事をする機会がなくなってしまって、とても悔しいです。
ビロウトークの長い長い前フリだけで終っちゃうなんて、遅◯って言っちゃいますよ、川勝さん!
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by hiromi_machiyama | 2012-02-27 00:40 | 日記
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放送作家・町山広美の日記
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