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23                  
                 「スチャダラパー余談5」掲載

6月頃、スチャダラパー23周年の野音ライブで物販された読み物「余談5」に書いた原稿。
どういうわけか、2013年に一番ひとからホメられた原稿になったので、年越にアップしてみました。
まあ、最近は映画レヴューしか書いていないから、こういうネタが珍しくていろいろ言ってもらえただけなんだろうとは思いつつ。

23周年なのでお題は「23」、それを語呂合わせで読みました。
発注してくれたのがシンコさんで、シンコさんも弟なので。




     『23』



 ある昼下がり、23が起きてこないことに気づいた。休日の昼には、食卓についたところで、私と母親が食べる上空でモデルガンをぶっぱなすようなことも何度かあったから、静かでいいと思ったが、それにしても静かすぎる。

 仕方なく起しに行って、布団ごしに押してみると、様子がおかしい。奇妙な感触。甲殻のように固い背中にぎょっとして、布団をめくってみると、そこには巨大な虫がわぎわぎしていた。たくさんの足がしょんぼりと光る。

 23は虫になったのだと、すぐに合点した。やたらめったら本を読む23には読書量が少ないとバカにされる私だが、カフカの『変身』ぐらいは読んでいる。

 やった、と思った。高校受験を前にした23に、母親はすっかり手をやき、「3年後にまたこんなことがあるなんて絶対に私もお2ちゃんも耐えられない。だから絶対に付属高にいってほしい。そうすると広美ちゃんは公立しかいけないけど、大丈夫よね」と決めつけられていたからだ。まだ中1なのに「ああ、自分でなんとかするから」と応じてしまっていたが、授業料の高い私立の付属高に進む虫は、いない。

 納得がいかないのは、なぜ23が虫になったのかだ。

 『変身』では、家族の面倒を懸命に見ていたつもりの主人公グレゴールが虫になってしまうと、彼に頼っていたはずの借金まみれの両親や妹が、自分たちで生きる手だてや希望を見つける。グレゴールの営為は無用だったという皮肉。

 だとしたら、この昼から数十年後、母親が男がらみの事業の失敗でつくった額面25億の借金を陣頭指揮をとって処分整理、その後の母親の介護も勇んで一手に引き受ける私のほうがずっと、グレゴールにふさわしい。自己陶酔じみた英雄願望で家族のヒーローを買って出る虫は、私だ。

 でも目の前で虫になっているのは、23だった。

 アレに似ていると思った。小学生の頃、よく漫画を描いていた23をまねて、私も一作だけ描いたことがある。『ゴキブリゴキコちゃん』。どんな話だったが忘れたが、とにかく絵がへたくそなので話の進みようがなかった。

 そんな私と違って、23は絵が上手だった。図画工作の宿題を助けてもらったことも何度かあった。こんなアイデアで描いてみたらどうか。描けない人間には、まずそのアイデアが浮かばないのだ。転校していく同級生の送別会の飾り付けに、怪獣の絵をたくさん描いてもらったこともあった。宇田川くんはとても喜んでくれた。

 そんなことを思い出したから、わぎわぎともどかしそうにしている虫の胴体をおこしてやろうと思ったが、難しい。胴体の下に腕を差し入れると、けもののような声で何か言っているが、聞き取れない。

 「『2001年宇宙の旅』で、HALはどうして異常な行動をとるようになるのか?」、そんなことを急に聞かれたのかもしれなかった。78年の6月、23がその質問をさあどうだと差し向けた頃、私たちは毎週FM東京で放送されていた『2001年宇宙の旅』のラジオドラマを聞いていた。23は原作をすでに読んでいたはずだが私は未読で、テアトル東京での再上映はその秋のことだ。「船長を好きになっちゃったから?」、バカげた答えだったから、ものすごくバカにされた。そのラジオドラマでHAL9000を色っぽいタメグチで演じていたのは田島令子で、『バイオニック・ジェミー』のジェミーがボーマン船長に恋をして発狂したのだと、私は思ってしまったのだ。

 よく一緒にラジオを聞いていた。淀川長治先生や小森和子おばちゃまの映画の番組とか。網膜剥離の手術で入院した30歳の時、耳の娯楽しか享受できない私に23が持ってきた見舞いは、淀長さんの映画解説CDだった。

 いつのまにか、虫はベッドから落ち、部屋を這いはじめた。母親にこの姿を見せてはいけない。夫と正式に離縁したばかりの彼女にとって、23は今やますます王子様なのだから。

 なにをどうしたのか、わからない。

 それから数十年の時間が飛び去り、気がついた時には、23は「アメリカ在住の映画評論家」を名乗っていた。死期が近い母親が病院のベッドで、23が電話出演するラジオ番組をうれしそうに聞いていた。なにかの新作映画の解説で『未来惑星ザルドス』に急に話がとび、ラジオを聞いている人の何人がピンとくるのかと私はあきれたが、洋画劇場で放送されたのを家族で観たことは覚えている。

 『変身』の最後で、グレゴールを残して家族は電車に乗る。目的の停留場に着いて立ち上がった娘の若々しい背中に、両親は希望を見る。

 私が思い出すのは、家のすぐ近くのバス停で過ごした時間だ。小学生の頃、私は母親とケンカして家を飛び出した。何度も。そして毎回、大きなガラス屋の前にあるバス停のベンチに座る。夜のことだ。バスが来ないのはわかっている。でも、もうここには居たくないのだ。店前に並べられた大きなガラスが倒れてきそうで、怖い。暗い。でもどこかに行ってしまいたい。そこへ23が迎えにくる。何を話したのか。とにかく私は立ち上がって、家に向かった。私の背中を見ている者はいなかった。一度や二度じゃなく。
by hiromi_machiyama | 2013-12-31 23:44 | 雑誌原稿アーカイヴ
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