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「文藝春秋」05年9月号 掲載原稿
「赤いランドセルの女の子」

 



八十になる父には、十歳ほどの娘がいるらしい。
 両親が離婚したのはたぶん、私が中学一年の時。たぶん、とぼやけるのは何年も前から父が九段の自宅に寄りつかなくなっていたからで、出て行ったのではなく、戻らなかった。二歳年上の兄を映画館に誘う様子が最後の、家にいた父の記憶で、テレビゲームとも連動した世界初の本格的CG作品、低迷期のディズニー映画『トロン』について、「これからはこういうものの時代になるぞ」と父は言った。しかし調べてみると、公開されたのは離婚よりずっと後のことで、父に関する私の記憶はいつもあいまいである。
 絵やデザインが好きだったが、当時の仕事は不動産ブローカーのようなもの。韓国人である父は、日本に来てからしばらく英語の通訳をしていたと母は言うものの、本当のところはよくわからない。ハイカラ好きで、女好き。たとえば我が家には、3/4インチテープを使った世界初のカセット式ビデオデッキとやらがあった。VHSやベータが出回る以前で、60分カセットが一万円。稼ぎは多くないのに、そんな買物をする。世界初が大好きな人だった。
 離婚後の父と会ったのは、5度くらいだろうか。用件はいつも、金。母が「お父さんがお金を振り込んでくれない」とこぼすと、みなまで言わせぬうちに「私がふんだくってくるから、任せなよ」。自分を買いかぶっていたのだろう。
 最後は二十歳だった。細かった私がむちむち丸くなっているのを見て、「日本の女はやっぱり太ちゃうなあ」と父は笑った。母を思い出したのだろう。どこまでも男なのね、と今なら思える。
 昨年、父方のいとこと会った。高校から日本を離れ、アメリカと韓国で暮らす彼女から、都内に住む父の近況を聞く。
 十年前、父は四十歳以上年下の韓国人女性を連れて、里帰りをした。慶尚北道の旧家で、日本のガイドブックにも由来が載り、あたりは民族村として保護されている。そこへ、もはや老人となった放蕩息子が現われ、二十代のミニスカのお嬢さんを嫁と紹介。親族には衝撃が走ったという。そして、私より若い新妻との間に、間もなく娘が生まれた。七十歳のパパである。
 父の最初の妻の娘で、十歳ほど年上にあたる異母姉の近況も聞いた。絵画教室の先生で、四十を過ぎてから結婚。とても柔らかい人だが、父がたまに甘えてくると、ぴしゃりと叱るそうだ。
 最後に三十分ほど会ってから、二十年。今の父の姿を、映像として思い浮かべるのは難しい。ぼんやり覚えている昔の顔を老けさせて、隣りに赤いランドセルの女の子を置いてみる。異母妹のつもりだ。まさか私ではない。

                ☆「文藝春秋」05年9月号
                     に掲載されました
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by hiromi_machiyama | 2005-11-07 20:00 | 雑誌原稿アーカイヴ
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放送作家・町山広美の日記
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