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『活字が・書いた・テレビ』連載第三回
TBSテレビ発行 『調査情報』
489号(2009年7-8月)掲載
掲載誌は雑誌購入サイト「富士山マガジンサービス」で購入できます



“腐ったミカン”の賞味期限はなぜ長い?



「I・ヤンキー」。

『日経エンタテインメント!』(日経BP社)7月号の
特集タイトルである。
芸能業界誌ではなく、
芸能業界周辺のファンジンと位置づけられる『日経エンタ』が、
お得意の「ヒットの条件」という枠組みで、
ヤンキー関連の各種コンテンツをまとめた。

ところで、記事を読む前に私は
『ROOKIES』(TBS)や『ごくせん』(日テレ)など
不良学生ドラマの好視聴率が記事の筆頭と予想した。
しかし実際は、映画『クローズZEROⅡ』と『ドロップ』。
もちろんその後、先の2本のドラマにも触れるのだが、
テレビ業界の一員として
「今はやっぱりこういう順番になりますかああ」と誌面に影が差した。
私がうなだれたからか、業界の陽が傾いているからか。

さて、記事は映画よりも先にまず、
大学教授によるヤンキー研究本が
今春相次いで出版されたことから語り起されている。
他の新聞雑誌でもヤンキーに注目した記事が多く出ているが、
いずれにおいても糸口はこの両著だ。

関西学院大学社会学部教授、
難波功士が書いた
『ヤンキー進化論~不良文化はなぜ強い~』(光文社新書)。

東北大学大学院工学研究科准教授、
五十嵐太郎が多数の論者に依頼してまとめた
『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)。

ヤンキー関連の雑誌や
ファッション、映画、漫画、音楽などを取り上げ、
「ヤンキー文化とは何か、ヤンキー復活か」
と論じる両著に共通するのは、
ファッションなど他のジャンルに比べ、
テレビへの言及がごく少ないことだ。

たいへん驚きました。

ドラマに限らず、テレビとヤンキーのつながりは深い。
テレビを軽く通り過ぎてヤンキーを語るのは、
手落ちというものだろう。



と書きましたが、実はテレビへの言及は一応ある。

ただ、そのほとんどが、
ナンシー関が90年代に書いたコラムや対談からの引用なのだ。

『文化論』は最後の最後、
「ヤンキーコラム傑作選」と題し、
ナンシー関のテレビコラム4本をまるごと掲載して一冊を締める。
『進化論』では、
「・・・・・・根本敬だったかな、
世の中の9割はヤンキーとファンシーでできてる
ってどこかで書いてた。・・・・・・」と対談から引用しながら、
発信者の根本敬(特殊漫画家)をたどることなく、
ナンシー発言に留まっている。

オビにも、その名や発言を援用。
テレビの部分を託したというより、
ナンシーありきのヤンキー論というべきか。

この事態に、『月刊サイゾー』(サイゾー)7月号には
「『ヤンキー論』に必ずつきまとうナンシーの影を追っ払え!」
なるタイトルのコラムが掲載された。
書き手は、昨年出版されたヤンキー本の先兵、
『ケータイ小説的。〝再ヤンキー化〟時代の少女たち』(原書房)
の著者、速水健朗。
ヤンキーとケータイ小説の読者に重なりを見る立場からすれば、
90年代で事足りるヤンキー論には、異を唱えて当然か。

そのコラムでは、
ここ数年のヤンキー関連のヒットコンテンツとして、
島田紳助率いる『クイズ!ヘキサゴンⅡ』(フジ)が押さえられている。
冒頭の『日経エンタ』は、
「ヤンキーエンタテインメントの30年」
という労作の年表を作りながらも、
バラエティーをほぼスルーしていたのだが。
バラエティーを忘れてもらっては困る。
ドラマに劣らず、バラエティーとヤンキーのつながりも深いのだ。


『進化論』に登場するナンシー関の著書には、
私との対談集『隣家全焼』(文春文庫)も含まれている。
引用されたのは、女性誌『CREA』(文藝春秋)の97年4月号での対談、
「ヤンキー市場は日本最大のマーケット」。
「世の中の9割はヤンキーとファンシー」の発言もこの一部だ。

連載では当初、
対談後に2人で話の内容を図にまとめる遊びをしていた。
この「不良界」の図が下である。

       (後日掲載します。
        もしも『隣家全焼』文庫版お持ちの方は
        99ページを参照ください)


10年余を経て的外れになった部分もあるが、
まず注目してほしいのは、
左上の島田紳助だ。

『青春!島田学校』(TBS/90~91年)は
当時放送されていた深夜番組のタイトル。
紳助が見込んだ、
まだ売れていない芸能人や素人を大量に出演させていた。
そして番組テーマ曲は、
自ら作詞した『日本で生まれて』。

『クイズ!ヘキサゴンⅡ』との共通点は多い。
上地雄輔やスザンヌなど番組メンバーが
『FNS 26時間テレビ』(フジ)でも涙ながらに歌った、
『陽は、また昇る』も作詞は紳助。
サビの「がんばれ日本!」の繰り返しは、『日本で生まれて』に重なる。

レギュラー出演者の疑似家族化。
涙の結束、チーム愛。
地元=日本に対する愛着。
感動また感動。

これらは、
『文化論』と『進化論』が指摘するヤンキー的資質とも重なっている。
島田紳助は「芸能界でいかに生き残るか」を基軸に、
生き方論を語ることが多いが、
そうした自分語りもまた、
ヤンキー的と指摘されるところだ。

『青春!島田学校』を覚えている人は多くないだろうが、
約15年後の『ヘキサゴンⅡ』は、
テレビ史に残るヒットになった。
島田紳助の最近の圧倒的な活躍に、
ヤンキー魂復活の証左を見るのは、
さほど暴論でもないだろう。

漫才コンビ紳助竜介として全国区への進出は、80年頃。
髪はリーゼント、つなぎを着て、
暴走族をネタにしていた。

あいまいな記憶で恐縮だが、
私はこのコンビのネタを通して、
関西で使われていた「ヤンキー」という言葉を知ったように思う。
全国的には、不良は「ツッパリ」と呼ばれていた。
そして、
THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIALの
『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』のヒットも同じ頃。
コント赤信号も、暴走族コントを得意ネタとしていた。

当時の子ども、特に小学生は、
テレビを通してヤンキー兄ちゃんの存在を知ったと言ってよさそうだ。
銀蝿の曲といい漫才のネタといい、
まっすぐ「かっこいい!」ではなく、
デフォルメされ笑える要素を含んでいたから、
若者以外にも浸透し得たのかもしれない。
さらには、涙もあった。

「不良界」の図の右下を見てほしい。

加藤優。
同じく80年に放送された
『3年B組金八先生』第2シリーズ(TBS)の登場人物である。
魑魅怒呂という不良集団に所属する加藤は、
前の学校を放逐されてきた転校生。
「箱の中に腐ったミカンが一個混じっていれば、
そのうち箱中のミカンが腐ってしまうから」
と退学理由を説明する、前の学校の担任教師に、
金八先生が食ってかかる。

この「腐ったミカン」というフレーズは、
30年を経た今も生き残っている。
つい先日も
『めちゃ2イケてるッ!』(フジ)のナレーションに使われていた。
ドラマのセリフがここまで残る例は他に、
『太陽にほえろ!』(日テレ)での
松田優作の「なんじゃこりゃああ」と、
『北の国から』(フジ)での
田中邦衞の「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!!」
くらいだろう。

純粋さゆえに荒れ、
理解なき大人たちに踏みにじられる。
腐ったミカン=加藤優は、
「ワルだけど本当は心根のいいヤツ」という、
その後延々とヤンキー系ドラマでなぞられるキャラクターの原型だ。
清水の次郎長親分とか、
人情に厚く仁義を守るワルはこの国で人気キャラになりやすいが、
現在につながるルーツは、
校内暴力の嵐が吹き荒れる時期に生まれた、
この加藤優だろう。

ところで、『金八』の名セリフには
「顔はやばいよ、ボディーやんな、ボディーを」もあった。
79年放送の第1シリーズで
ツッパリの山田麗子を演じた三原順子(現じゅん子)が、
リンチのシーンで言う。
この三原の人気が、
女子アイドルがドラマの不良キャラでブレイク、
の先駆けではなかったか。
『不良少女とよばれて』(TBS/84年)
『ヤヌスの鏡』(フジ/85~86年)
『スケバン刑事』シリーズ(フジ/85~87年)。
中山美穂がデビューした
『毎度おさわがせします』(TBS/85年)も
同じラインに入れていいだろう。

男のくせに女物のサンダルを履いたり、
不良は男女交際の経験をにおわせたがるし、
早熟早婚の傾向にある。
だからアイドルが演じる不良キャラも性的なイメージを喚起するし、
コスプレ感があるのもいい。
啖呵を切ったり、型をなぞる芝居が多いから、
演技の力不足も気にならない。

こうした効用に、現在は女よりも男があずかっている。
ドラマに映画に、
イケメンが不良キャラで大量出演。
楽しんでいるのは女性の視聴者や観客だ。

コスプレを楽しみ、
友情や先輩への忠義、
男同士の強い連帯関係をのぞき見ることを喜ぶ。
チーム愛は重要ファクターだ。

 「不良界」の図の中央近くに、ZOOとある。
深夜番組『DA DA L.M.D』(テレ朝/89~90年)
を母体に結成されたダンスユニットで、
EXILEのリーダー、HIROが所属していた。

14人の大所帯となったEXILEもまた、
チーム愛の集団。
『スクール・ウォーズ』(TBS/84~85年)や
『ROOKIES』の熱血教師的存在は、
所属事務所社長でもあるHIROだ。
ひとり40代のリーダーを、
他の若いメンバーが慕う様をファンは好ましく見つめている。

一方、チーム=ファミリーの結束を見せられなかったのが、
小室ファミリー。
小室哲哉は、後に起した事件も十分にワルを証明しているし、
自分語りが得意。
全盛時に乱発した歌詞にもその暮らしぶりにも上昇志向が過剰で、
成り上がり=ヤンキー的思考を十分備えていたはずなのだが。



さて、
トレンディードラマが隆盛を誇った80年代末から90年代にかけて、
ドラマからは不良の姿が激減した。
工藤静香姐さん(「不良界」の図参照)ですら当時は、
トレンディードラマの出演者に。
バラエティーや情報番組は、
東京のデートスポットやグルメな高級店の紹介に熱中。
ヤンキーの出番は、
伊藤輝夫(テリー伊藤)率いる番組など一部に限られた。

ナンシー関が盛んに、
芸能人のヤンキー的資質
(「銀蝿的なもの」と表現されている)を指摘し、
後にヤンキー論とまとめられるようなコラムを書きはじめたのは
この頃だ。

何が起きていたのか。
「不良界」の図を、最後にもう一度。

中央の「お店系」という枠に注目いただきたい。
現在の芸能界を見渡すと、
この枠に帰属するタレントが多い。

 トレンディーの嵐を経て、
不良界では「お店系」の比重が高まったのではないだろうか。
「お店」とは主に、
酒を出す夜の店を意味するが、
もちろんラーメン屋も含まれる。

暴走族の集会から、お店の朝礼へ。
チーム愛も自分語りも上昇志向も、
すべてお店で。

ケンカ上等から、売り上げ上等へ。

一時期ヤンキーの姿が見えにくくなったのは、
不良界の地殻変動が起きていたからか、
それとも変動を余儀なくされたからか。

ヤンキーの産業化、経済化。
ってそれは言い過ぎ。

テレビはお店系ヤンキーの顕在化、
そしてお店系ヤンキーの再生産にもまた、
関与したと思う。
その現場は意外にも、ドキュメントだった。
ホステスやキャバ嬢やホストが
「夜の世界で天下とったる」とヤンキー魂で仕事に励む姿が、
最初は興味本位の観察対象になっていたが、
盛んに放送されるうち肯定的なニュアンスを帯びていく。

漫画と連動しつつ、ドラマにも進出した。
99年放送の『お水の花道』(フジ)で
主人公のホステス明菜はチーム愛に燃える、
「不器用だけどいいヤツ」だった。
以降、夜の世界を舞台にした熱いドラマが増えていく。

そして「お店」はもともと、テレビと親和性が高かった。
バラエティーで、スタジオを「お店」とする設定の番組はたくさんあるし、
会議で番組を「お店」に例えることも多い。
同じサービス業ですから。

暴走族から遥かに遠く。
たくさんの命を奪う過激な犯罪は、
むしろオタクの持ち場に取って代わられ。
暴走族や不良学生をコスプレのネタや、
チーム愛に涙するファンタジーの舞台として消化しつつ、
主流は「お店」系へ。

80年代の中学生が横浜銀蝿にかぶれたことを思えば、
現在の中学生が、
ホストやホステスに憧れ、
彼らが読者モデルを務めるファッション誌を手本にするのも
当然かもしれない。

 「ケンカで天下とったる」よりも、
「夜の世界で天下とったる」や
「ラーメンで天下とったる」の方が、
確かに資本主義社会に準じている。
こうなったのは必然か。

乱暴にまくしててみたが、とにかく。

ヤンキー論がナンシー関のコラムで事足りるように思えたのだとしたら、
「テレビありきのヤンキーだからじゃないか」、
そんな仮説も大学の先生には立ててみてほしかったのである。

テレビは最近なにかと忘れられがちだから。
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by hiromi_machiyama | 2009-11-07 23:56 | 活字が・書いた・テレビ
『活字が・書いた・テレビ』連載第二回
TBSテレビ発行 『調査情報』
489号(2009年7-8月)掲載
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『試写室』の怪


すべてのテレビ番組は袋とじである。

新書のタイトル、
それも二番煎じの新書のタイトルのごとき一文を掲げてしまったが、
観る前に中身をお試しできないという意味において、
すべての番組は袋とじだ。

ところで先日、都営地下鉄の車内で私の前に座った中年サラリーマンが、
腰の位置を定めるやいなや、
手にした雑誌『FLASH』の袋とじにSuicaだかPASMOだかを差し込み、
慣れた手つきですうっとすべらせた。
素直に切り離される、袋とじページ。
お見事。

私は、笑いを顔に出すことを我慢できなかった。
声なら飲み込めるが、顔はそうもいかない。
かなりはっきりと顔に出してしまったが、
先方は気づくこともなく、
かといって袋とじの中身にさほど強く惹きつけられる様子もなく、
切り離されたページを次へと送りつつ、
SuicaだかPASMOだかをポケットに納めた。
一連の動きは実になめらかで、
「スマート」という形容さえ思い浮かんだ。

スマートに、人前でご開帳とは。
右斜め前に立っている女性の視野に入った場合、
セクハラと非難されてもおかしくないような、
マジやばい写真が掲載されているかもしれないのに。

もちろん彼は知っているのだ。
袋とじの中身なんて、どうせたいしたこたあない。
写写丸や柏原芳恵に、
たいしたことを期待して裏切られた数多くの経験が彼を今日の、
華麗なる袋とじ切り離し職人の境地へと導いたのである。
たぶん。

と、したい話をしたいだけして、
たいへん強引に話を本線に戻すが、
中身をお試しできず、
見てくれよく加工されたPRや、
新聞やテレビ誌やネットに掲載される、
番組スタッフが広報経由で流したセールストークの断片を参考資料に、
視聴者の皆さんは番組を選ぶ。
袋とじ企画のキャッチコピーに対峙する時のように、
そのセールストークを何割か割り引いて受け取って。

ほとんど唯一の例外と言っていいのが、
番組の試写を実際に観た記者たちが書く記事だ。
番組スタッフとしては、
その貴重な場で番組の狙いがしっかり紹介されていれば、
とてもうれしい。

ということで、やっと今回の本題です。



朝日新聞は最近、
テレビに関する記事をある記者にたくさん書かせている。
署名記事での登場頻度が抜きんでており、
エースと呼んで差し支えないはずだ。

そんな、エース記者の記事が毎回、
「朝日新聞はテレビをどう考えているか」を教えてくれる。
 
朝刊の最終面。
テレビ欄の下段に長年設けられてきた、『試写室』と題する囲み記事。
当日放送される番組の試写を記者が観て書く、
署名入りの記事だ。
カラー写真が添えられ、最終面では最も目立つ。

それどころか、4月からはこの面で唯一の記事になった。
だから、番組を作る側にしてみれば、
この欄に取り上げられることはありがたい。
文字数がそう多くない中に、
番組の内容がくわしく的確に書かれていれば、なおうれしい。

そこに、竹田さをりという「私」が登場するようになった。

いつからなのかは、当然記憶していない。
文中に「私」がべったり居座っているのに驚くと、
末尾に必ず「(竹田さをり)」とあり、
いつしかその名前が頭に入ってしまったのだ。

おかげで『試写室』では記事よりも先に、
名前を確認するようになった。
心構えなしに読み出すと、
「私」にぶちあたった時のダメージが大きいからだ。
例えば、昨年10月6日の『試写室』はこう締めくくられる。

    〈そういえばもう4年もカラオケに行ってないし、
     ロックも歌わず、懐メロおばさんになっている私。
     年齢を言い訳にしないB’zに
     できるだけついていきたいと思う。〉

『NHKスペシャル メガヒットの秘密〜20年目のB’z〜』
についての記事だが、
出会い頭の「私」に面食らって、
番組内容などすっとんでしまう。
同じく昨年5月15日掲載の『全国一斉!日本人テスト』(フジ)の記事は、
クイズ形式でマナーを指南する内容を説明した後、
こうシメる。

    〈が、おにぎりは歯形を残さないように食べろという指南には
     「にぎり飯ぐらい自由に食わせろ」と言いたくなった。
     いやまてよ。
     サンドイッチを歯形を残さず食べていた子は、
     すてきな男性と結婚したよなあ、
     と、遠い目になる私。〉

最後は「私」にひきこむ。

そして、記事の見出しは、『みんな「常識」好きだね』。
他の記事でも文中に友達口調がちりばめられ、
「無理だろー」などと音引きも多用。

どこまでも、友達気分なのである。



週刊誌が愛用する形容、
「天下の朝日新聞」を持ち出したくはないが、
朝日新聞をたいへんおおざっぱに街に例えれば、
官庁とオフィスの居並ぶ街だろう。
それを読む私は、
その街で浮かない程度の身なりを整え真面目な顔をして、
皆の邪魔にならないよう交差点を急ぎ足で進んでいる。
そこで、件の記事に出会う。

ニュースが景気の状況を伝える時に使う、
お決まりの資料映像のごとき光景の中、
見ず知らずの女性からいきなり、
「今日は私、ピンクが着たい気分なんだお、てへっ!」と言われ、
スキップで周囲をくるくる回られてしまうような事態。
しかも、「てへっ」と小首をかしげた顔が近い。怖い。

せめてもの対策として、
記事を読む前に署名を確認して身構えることにした。
そうするうち、竹田記者に関する情報がたくさん頭に入ってしまった。

まず、妹がいる。
今年3月5日の時点で、妹は妊娠中だ。
『衝撃スクープ裏のウラ 全部ホンモノ超最強セレクション』(日テレ)
の記事がこう書き出されている。

     〈このテの番組、「くだらねー」と敬遠する向きも多いが、
      うちの妹は「無条件に笑えて胎教にイイ」。〉

ご親族の妊娠なんぞという
たいへん個人的な情報を入手してとまどう私を置いてけぼりに、
次々と個人情報は発射される。
『試写室』を読んでるだけなのに。

以下、彼女について私が知っている二、三の事柄。

人生最高のカレー体験は、
若い頃に取材で登ったヒマラヤの山小屋で食べたカレー。

好きな曲は
華原朋美の『I’m proud』。
ガールズポップの最高峰と思っている。

今年3月12日には彼女は、
『地位や名誉とは無縁な人生だが、
せっかく生まれてきたのだから、
何でもいいから世界一になりたいと思うこのごろ』という気分だった。

つまりは、ブログなのである。

朝日新聞の朝刊になぜか、
「さをりんのいちご日記」が掲載されているのだ。



本誌読者の中には、
さをりんに萌えている人もいるかもしれないので一応お伝えしておくと、
さをりんは若くない。

この「私が私が」の振る舞いは、
昭和40年前後に生まれた、
いわゆるアラフォーに違いない。
自分自身も同世代の私はそのことを早々に嗅ぎ付けたから、
ドラマ『四つの嘘』(テレ朝)についての昨年7月10日の記事は
確認作業に過ぎなかった。

     〈私たち40女が恋しい男をベッドに誘うとき、
      どんな動作がすてきだろう。〉

朝っぱらから、それはないだろう。
だが、他人の朝など「私」は知ったこっちゃないらしい。

この世代の女の真骨頂、「私」の押し売りが止まらない。
「私」が知りたいことはみんなが知りたいこと、
みんなが知りたいのは「私」のこと。
本当に迷惑な集団である。
一員として首を垂れるのみ。

ちなみに、この記事の書き出しはこうだ。

     〈41歳はまだ人生の半ば。
      女には、これからいくらでも愛の苦しみが待っている。〉

もはやドラマの登場人物のことなのか、
「私」のことなのか、
見失ってしまう。

そして、この世代の高学歴の女性たちはどういうわけか、
声高に「イケメン好き」を主張する傾向がある。
もちろん、さをりんが例外のはずもなく。

福山雅治主演のドラマ『ガリレオφ』(フジ)について、
昨年10月4日にこう書いた。
 
    〈恋をするなら、こんな理系メンズがいいぞーー。
     ただでさえかっこいいのに、
     白衣効果でオトコマエ度が5割アップだ。〉

「いいぞーー」、ダブル音引き。
ダブル音引きで、校閲さん通過。

新聞でそんなチャラチャラした振る舞いをしてはいけない
と私は思っていたのだが、間違っていたようだ。
育ちの悪さを自覚しているせいか、
そういうところはどうも遠慮をし過ぎていけない。

さて、『試写室』以外の番組紹介記事でも、
エース記者の楽しげなスキップは止まらない。

昨年11月23日の朝刊に掲載された、
手越祐也主演のドラマ『うそうそ』(フジ)の記事。

    〈前作は本当にかわいい入浴シーンがあったが、
     今回は湯治の旅だというのに無いという。
     ちょっと、残念。〉

 2月1日掲載の、ドラマ『メイちゃんの執事』(フジ)の記事では、
撮影現場を取材した興奮がおさまらず、

     〈オンエアでは、真山クンの黒いパンツ、見えたっ。〉

ちなみに、真山クンこと俳優、真山明大は21歳だそうだ。

もしも40代の男性記者が21歳の女性タレントについて、
「ひろみタンのピンクのパンツ、見えたっ」と書いたら、
朝日新聞はそれを掲載するのだろうか。

「パンツ見えたっ」と書くひとがいて、それを掲載するひとがいる。

驚き過ぎて標語ができてしまったが、ともかく、
両者はいったいどんな正義を掲げてこの暴挙に及ぶのか。
アレが持ち出されているのだろう、と容易に想像がつく。

5月18日掲載、「イケメンドラマ」とやらを取り上げた記事の冒頭は、
予想通りだった。

    〈若い女性に支持されるフェミニストの北原みのり(38)に
     「隠してた女の世界なのにぃ。こんなの書いて大丈夫?
      女の欲望を肯定すると、
      男性や、欲望を抑圧している女性に反発されますよ」
     と「忠告」されてしまった。〉

女性への差別、抑圧。
それに対抗する、
闘争の一形態としての、イケメン好き宣言。

ということですかぁ。

この例に留まらず、
高学歴の女性たちが「イケメン好き」を声高に主張するのは、
こうした正義に基づいているからなんだろう。
正義だと思うから、
声を潜めるどころか、でかくなる。

もちろん、イデオロギーで濡れたりヌケたりするのは、
個人の嗜好なので口を出す気はまったくない。
そういう大人のおもちゃ、
お道具が機能するのは事実だとも思う。
人は誠に因果なものです。

しかし、お道具を人目にさらすかどうかは、
また別の話だ。
しかも正義の名のもととなると。

女性の性欲とテレビの関係については、
この連載でさらに考えていくので、ここまでに留める。




紙面から発射され、
読者である私の脳内に吹きだまった、
竹田記者に関する個人情報は廃棄するよう努力していくしかない。
努力します。

それにしても、朝日新聞がこうした記事を掲載するのは、なぜなのか。

「どうせテレビなんて、頭のいい人が観るもんじゃないですから。
イケメン観てりゃ満足な女、子どもに、記事のレベルを合わせてみました」。

まさか、そんな考えではないと願いたい。
そんな考えでいながら、
テレビを「低俗だ」と批判するのは、筋が通らないし。

もっと脱力の実態を、私は想像する。

「竹田くんの文章って、新鮮だよねえ。
女性ならではの感性、新聞にはコレが欠けてるんだよ」みたいな。

先ほどの、まるでうまくない街の例えに戻れば、
さをりんに周囲でくるくる踊られて戦慄するのは私だけで他の人たちは、
新聞社内の皆さんも読者も
「楽しそう!」とスキップでついて行っているのが実際かもしれない。
そうでなければ、
あんなに繰り返し紙面に登場するわけもない。

交差点に取り残されたのが私一人でないことを切に願う。
だって車にひかれる。
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by hiromi_machiyama | 2009-11-03 02:04 | 活字が・書いた・テレビ
『活字が・書いた・テレビ』連載第一回
TBSテレビ発行 『調査情報』
488号(2009年5-6月)掲載
雑誌購入サイト「富士山マガジンサービス」


『テレビと活字メディアの摩訶不思議な愛憎関係』


テレビはいろいろ書かれる。

新聞や雑誌やネットが番組を取り上げてくれるのは、ありがたい。
大歓迎が基本姿勢。

とはいえ、その記事には、「なんだ、それ?」が多すぎやしないか。

「批評の不在が我々の衰退を……」、なんてことは言わない。
人のせいにしちゃいけませんって幼稚園で教わったし。

でも、書かれっぱなしってのも、どうなんでしょうか。

テレビに関する記事は
「視聴率の奪い合いよりも番組の質を高める努力をすべき」
でシメれば一丁上がり、
その正論をひたすらコピー&ペースト。

かと思えば、「低視聴率で撃沈!」と楽しそうに書きたてる。
どっちなんだよ。

もちろん、分かってます。

記事の中味がどうあれ、そのタイトルは
テレビもしくは番組を「ぶった斬る」でほぼ統一されてるんだから。
目的はお察しします。

でも、わだかまる。

「それ、違うよ」をそっと申し出たい。
「どういうつもりだ」と笑顔でにじりよってもみたい。

そこで、テレビ局が作る雑誌という、
雑誌なんだけど立ち位置はテレビ側のこの場に連載を始めるにあたって、
「テレビは活字にどう書かれているのか」をお題に掲げてみた。

本欄では活字を「ぶった斬る」どころか、
刀を振り上げるつもりもさらさらなく、
刀に吹きかけるかのように口に含んだ酒を、ごっくん。

「ごっくんしてません」
と言い訳して在任半年足らずで去った大臣もいたが、
せめて半年は続くよう、以後よろしくお願いします。



ちなみに連載タイトルは、
『私が・棄てた・女』からいただきました。

しかし、遠藤周作の小説とも浦山桐郎の映画ともほぼ無関係。
「棄てた女」のような無垢の心を、テレビは持たない。
むしろパンツのヒモは、ゆる結び。

ただ、求められるまま愛されるまま記憶されるまま、
相手の欲望や空白を映し出す「女」にテレビは似ているかもしれないし、
女に例えるという行為そのものが、
いまだむき出しのセクハラ発言がまかり通るテレビ業界に、
ふさわしくもある。

そんな場所は他に、イチローの脳内以外、どこにあるのか。
いや、
イチローの発言をもてはやすスポーツ新聞や雑誌やネットも同じか。

そして、前途有望な大学生の「私」と
女工である「棄てた女」の間にあった格差が、
活字とテレビの間に立ちはだかっているかといえば、
ほんのちょっとだけある。

さらに、大手出版社の週刊誌とテレビの間には、
男女とはまた違う、愛憎関係らしきものもからんで、実にめんどくさい。

19歳からテレビ業界で働き、
20代前半から時々雑誌や新聞にコラム等を書くようになった私は当初、
テレビのおじさんと活字のおじさんの関係にとまどった。

読者と視聴者の規模の違い、年収、
飲み屋のおねえさんからのモテ度などに由来する、ライバル意識。
それでいて、
テレビのおじさんは雑誌の記事をびっくりするほど鵜呑みにし、
活字のおじさんはテレビ番組がどう作られているのかを
びっくりするほど知らない。

この人たちはどうなってんのか。

私はおおいにとまどったがほどなく、
この関係はテレビ局と大手出版社、
そこに勤める正社員のおじさんたちに限定されることに気づいた。

同じような大学、同じような文化圏出身の男同士。
だからこその、ライバル意識と微妙な敬意。

大学にも通っていない出入り業者で女、
とほぼ部外者の私にはよく分からないが、
どうやらそういうものがあるらしい。

ただ、我々放送作家はこうしたおじさんのもみ合いのおかげで、
ちょっと得をしていると思う。
話題の番組について、雑誌の人たちはテレビ局の担当スタッフよりも、
放送作家に光を当てることが多い。

番組は、
もちろん例外もあるがほとんどの場合、ディレクターのものだ。

にもかかわらず、余分な光を放送作家に当ててくれる人たちがいる。
活字の仕事をしていると
「字を書く人」を過大評価してしまうからかもしれないし、
青島幸男や野坂昭如や永六輔などの先輩の威光も
影響しているのだろうが。

一方、新聞のおじさんとテレビのおじさんの関係は、どうか。

おばさんになった私はもちろん、
新聞のおじさんがテレビの社長になることを知っている。
そしてその逆は、ない。
そういうことだ。

そんな新聞がテレビをどう書くかといえば、
女目線とやらがやたらに活躍する。

女性記者にイケメンを語らせ、
投書欄では男性タレントへの劣情をぶちまけた
中高年女性のうっとり告白を繰り返し採用。

男女を置き換えてみれば、事態は明白だ。
男性記者が10代の女性アイドルのヌードシーンを喜び、
中高年男性が女優への妄想をつづった手紙が誌面を飾る。
そんなことが実現するだろうか。

男と違って、女の劣情の流布には犯罪を誘発する力がない、
なんて過小評価は失礼だ。
女だって、やる。

最近のテレビは視聴率欲しさに、おばさんに迎合しがちだ。
それは事実。
だからといって新聞が、それをさらに煽るのはどういうわけだ。

次回から、実例を取り上げていきます。
まずは朝日新聞の最終面、テレビ欄の「試写室」に注目する予定。

読者の皆さんから日頃の不満、
「自分の番組についてこんな記事書かれて酒がまずい!」という陳情も、
ぜひ編集部にお寄せください。
お待ちしています。
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by hiromi_machiyama | 2009-11-03 01:00 | 活字が・書いた・テレビ
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放送作家・町山広美の日記
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