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映画レヴュー 『スケート・キッチン』



『and GIRL』2019年6月号掲載



映画の目利きでもあるミウッチャ・プラダ率いるMIU MIUの、短編映画プロジェクトで制作された 12分の作品が、本作の母体です。

スケートボードが大好きな女の子。
スケボーパークは、男子ばかりで、ミスる自分に彼らの笑いが突き刺さる。

でもチャレンジ。
でも転ぶ。

そこへ差し出された手と、「あんた、いい感じだよ」の声。
味方がいる。女の子スケーターのチームだった。



MIU MIUのドレスをスケーター流に着こなし、スケボーで舞い踊る女の子たちが美しく、熱い気持ちにさせてくれた短編が、106分の青春映画になりました。
鮮烈でリアルであたたかく、新しい。



『スケート・キッチン』は、実際にニューヨークで活動する女子7人のスケーターチームの名前です。

「女性はキッチンにいるべき」なんて硬直した考えは、スケボーではね飛ばしてやろうと結成。
主人公のレイチェルをはじめ、実際のメンバーが自身を演じています。

ジェイデン・スミスは、この映画には数少ないプ口の俳優。
父親ウィル・スミスと同様に俳優&ラッパーとして活躍するティーンのカリスマですが、スケーターとしてのレイチェルのインスタをフォローしたのが、キャスティングのきっかけだとか。




そのレイチェル演じるカミーユは、ニューヨークの郊外に住む17歳。
ママと2人の暮らしは息苦しくて、スケボーに熱中していたい日々。

でも、ある日ケガをしてしまい、ママからスケボー禁止の命令が。

隠れてやるしかないと、少し遠征したスケボーパークで、「スケート・キッチン」のメンバーと知り合う。



ママがイラついてる自宅のキッチンに比べて、このキッチンはなんて居心地がいい!
友情を深め、今まで 知らなかった感情を知っていく。



恋愛もそのひとつ。
でも、周りの男女や女女のカップルを見ていても、恋する気持ちがよくわからない。
そんなとき、ジェイデン演じる男子と距離が縮まって、気が合う。
楽しい。
でも、そのことが周囲と力カミーユ自身によくない変化ももたらして。



この映画では、スケーターの演技や表情が自然で、言葉に心が宿り、それぞれの個性が光っています。

監督・脚本のクリスタル・モーゼルは 30代の女性で、ドキュメンタリーで活躍。
メンバーに取材し、ともに生活し、メンバーの経験をもとに脚本を作り、撮影しながらドラマを固めていった、その手法だから実った結果だと思います。




また、スケーターたちのあり方や考え方を内側から見つめた映画だから、スケボーの、他の遊びやスポーツとは違う特性も、芯を捉えて見せてくれます。


各自の技術を競うけれど、相手を倒すことを必要としない。
パークで、さらには撮り合った映像で、スケーティングのアイデアや技術をお互いに賞賛し合う文化。


でもその一方、お互いの賞賛は男だけのものでした。

そんなの変だよ、と滑り出す女の子たち。
パークで孤独だった女の子たちの結びつき、連帯がかっこいい。



さらにはそれが、パークだけでなく社会全体にもあることだ、そこまで映画の視野に入っています。

男か女か、二極で対立したり恋愛したりしかできないっておかしいよね、とドラマで描いてみせます。




カミーユが、自分は女で、女だから男と同じようにはできないと決めつけられるのを納得できない、その悶々を「イエローが好き」と表現するのもいい。
男の子の色=ブルー、 女の子の色=ピンクでもなく。

若さのきらめきから、新しい価値観、考え方が見える。
素晴らしい青春映画、未来の光が届く映画です。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:54
映画レヴュー 『Girl /ガール』


『and GIRL』2019年7月号掲載



男の子の身体に入って生まれてきたけれど、このいれものは違う。

女の子の身体が、私のはず。

その強烈な違和感で張り裂けそうになっている15歳のララが、『Girl』の主人公です。
それだけ聞くと、ララの違和感と周囲の無理解が衝突する物語を想像しますが、この映画では、父親はその違和感を理解しています。



そして、ララには夢が。
バレエのトップダンサーになること。

もちろんバレリーナ、女性ダンサーとして。

バレエ大国ベルギーで、レベルの高いバレエ学校に編入。
環境は整ってる、あとはがんばるだけ。



そう見えますが、ここから細やかに物語を作ろうと挑んだのが、ルーカス・ドン監督。
整った顔立ちのまだ20代、この長編デビュー作がカンヌ映画祭で受賞、一躍スターに。

子どもの頃に「女の子っぽいこと」を好む様子を笑われ、そんな自分を封印した経験があると語る監督が自ら書いた脚本のアイデアは、地元の新聞記事から。

男の子の身体でバレリーナを目指す15歳のノラ、自らのセクシュアリティを公表して夢に挑んでいる。
その勇気ある存在がきっかけだからこそ、カミングアウトをめぐる混乱や対立のさらに先を描く物語に。



ララを演じるのは、自身もバレエ学校に通うダンサーのビクトール・ポルスター。
透けるような美しさの彼はトランスジェンダーではなく、女性として踊った経験ももちろんありません。

つまり、演技にもダンスにも強い負荷がかかっていて、しかもこの映画は、ドキュメンタリー的な手法を取っていますから、「ララという女の子として存在すること」への要求は高度。
そのすべてに、彼は全身で応えています。


燃えるような強烈な自我と、危うく揺れる繊細な感情。
そして、その2つがぶつかりあったときの痛ましさ。
何度も、胸が詰まるような瞬間を表現してみせるのです。


監督は、自作にとって最高の宝を探り当てたと言えます。



ララは希望したバレエ学校に編入。
職を変えてまで応援してくれる父親と6歳の弟と引っ越してきて、新生活が始まる。

性転換手術への準備もスタート。
成長を待って行うため、ホルモン治療から、慎重に。

けれども15歳の心と身体の変化は著しく、ララは男性になり始める身体と、それを望まない心で引き裂かれそうに。



身体の変化はバレリーナとしての鍛錬にも焦りを招き、同級生も思春期の只中にありライバルでもあるから、悪意の自覚なく「シャワー浴びないの?」などとララを追い詰める。


恋愛はまだ考えない、と思っても 自分でコントロールできることじゃない。
芽生える欲望はあって、でも頭も心も追いつけなくて。



苦しんで、苦しんで。
それでもララにはバレエの舞台に立つ夢が。



この映画を観ていると、ララと条件や程度は違っても、心と身体の変化や矛盾に苦しんだあの頃が、思い出されてくるはずです。


思春期ってしんどい、苦しい。
親の理解があっても、その苦しさには変わりなく。


父親を一度も敵対的な位置に置かないこの映画には、親との対立が当たり前でなくなった若い世代ならではの視点を感じます。



わかりやすい敵を置かないこともそうですが、ドラマを盛り上げるお定まりの方法を慎重に避けるのが、この映画の特徴。
それだけに、ことが起こった際の衝撃は大きく、思わぬ展開が待ってもいます。



男の子の身体でバレリーナを夢見るという特有の状況が逆に鮮明にするのは、思春期の苦しさ、という普遍。
その痛ましい輝きに、目も心も奪われます。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:43
映画レヴュー 『COLD WAR あの歌、2つの心』『メモリーズ・オブ・サマー』
『In Red』2019年7月号掲載




ポーランドの名産品は 琥珀と刺繍と映画監督



アウシュビッツ強制収容所の所在はポーランドであり、ナチス・ドイツが去って戦後は、ソ連の支配下に置かれた。
ソ連崩壊後の現在、EUの大統領をポーランドの大統領が兼任している。

ほんの100年弱を振り返っても、この流転。

そんなポーランドが世界に誇る名産は、映画監督だ。
ワイダ、ポランスキー、スコリモフスキ。

映画への信頼と切望と。




数々の賞に輝き、その名産の列に加わるパヴェウ・パヴリコフスキ監督の新作『COLD WARあの歌、2つの心』 は、88分の濃密なラブストーリー。

唄声から始まる。
スターリン独裁下のソ連の指示で、ポーランドでも民族性への回帰が進められ、民族舞踏団を結成するため、農村の唄自慢が集められる。

その中に、ズーラがいた。

他の娘たちの純朴からハズれた、色気と自信。
指導者であるはずのピアニストのヴィクトルは、一瞬で心をつかまれる。

それから15年の激しい愛の成り行き。
ソ連に振り回されるポーランドの政治情勢が、影を落とす。




密告、亡命、裏切り、再会、すれ違い、再会。

痛めつけ合っては惹かれ合う、離れがたい二人。

混ぜたら危険、なのに混ざらずにはいられない。

監督はこの物語を、「とにかくどうしようもなかった」と振り返る自身の両親の関係を母体に、書き上げたと言う。




そして選んだ手法は、その愛の歳月を断続的に描くこと。
映画は何度も黒く断絶する。

愛という理不尽を描くにはふさわしく、叙情は途切れるどころか濃厚に。
モノクロの映像は各カットが一枚の絵画や写真作品のようで、相手にのばす腕、憂いに湿った唇が強烈な印象を焼き付ける。




自分を失っても、という愛のあり方をズーラは許容しない。

絶対に自分を手放さず、絶対に相手を求める。

心は一つにならず、二つのまま求め合う。




10代からの15年、それぞれのズーラの輝きと陰りを演じわけるのは、ヨアンナ・クーリク。
その変貌ぶりと、邪気をはらんだ色気が素晴らしい。

そして、音楽だ。
民族舞踏団で唄われる故郷の歌「2つの心」が、亡命先のパリではラブソングに。
「オイオイオーイ」とも「オヨヨーイ」とも聞こえるポーランド語で唄われるそのメロディは、映画がおわっても、心に響き続ける。





愛にうなされ、愛に危険運転をされる。

愛が奪うのは相手ではなく、自分だ。

見えない獰猛な怪物、としての愛。
それを見せてくれるのが映画なのだと、この映画は確信させる。





そのラストシーンから10年余りを経た70年代末の夏を、『メモリーズ・オブ・ サマー』は描く。
ポーランドが位置するのは、北海道より北、夏は短く、待望される。

けれど、12歳の男の子ピョトレックは憂欝だ。

高度成長に沸き、父親が外国へ出稼ぎに行ってしまったから、だけではない。
美しい母を僕が守るはずなのに、様子がおかしいのだ。




まるで、夏の観察日記のような83分。
キーアイテムは、この時代らしい流行歌謡とワンピース。

緻密にして正確、そして詩的な、特別な時間の記録。





12歳が感じる、母親の変化、不穏な気配。
田舎町の夏の退屈。
男の子同士の付き合いの厄介。
気になる女の子。
言えない言葉。
裏切り。
他者との境界。
自我の輪郭。




その混乱に臨場する映画だ。
美しい瞬間に、何度もまぶしくなりながら。

できごとを螺旋状に構成して連鎖させ、昆虫を捕まえるような繊細な息遣いと手つきで、大人の手前の特別な夏を映像に固定していく脚本・監督は、アダム・グジンスキ。




2本の映画ともに、ラストシーンが鮮烈だ。
ひとつの言葉、ひとつの動きに多くを託すことができる、映画の懐を彼らは信じている。
だから、とどく。


# by hiromi_machiyama | 2019-07-02 21:35 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー 『ドント・ウォーリー』
『and GIRL』2019年5月号



タイトルの『ドント・ウォーリー』に、
英語の原題では続きがあります。
訳すなら「大丈夫、遠くまで歩いてけやしない」。

これは、事故に遭って車椅子生活になった漫画家ジョン・キャラハンご本人が、そうタイトルをつけた回想録の映画化です。

映画の中で使われている彼の漫画でも、このセリフを、追っ手のカウボーイたちが置き去りになった車椅子を見て言います。


なんて苦い。


でも自虐におさまらない、痛快さも感じとりたくなりませんか。
「脚で」は行けないとしても、「頭で」ならば、どこへでも。

そういう意味もあるかもねという思いは、映画を観終わると、確信に変わります。
実際、キャラハンは車椅子生活になってから、新聞のひとコマ風刺漫画家としてデビューしたのですし。


演じるのは、ホアキン・フェニックス。
その暗く悲しい瞳で、キャラハンが自分を持て余している人物だと感知させます。


胸から下が麻痺の重傷を負ったのは、バカげた事故のせいでした。
ひどいアル中で、友人と泥酔して遊びまわった、その結果。


歩けないし、アル中だし。


そこから、彼は自分をどう立て直すのか。そもそも彼はどうして、酒に溺れてしまったのか。


自己否定におびえ、怒りで何重にもガードを固め、こんがらがっていたキャラハンが、すこしずつほぐれ、肩におかれた誰かの手の温かさを感じられるようになるまでを、映画は丁寧に描いていきます。


この回想録の映画化はもともと、コメディアンからスタートして人気俳優になったロビン・ウィリアムズが熱望。
キャラハンと同じ街で暮らす、友人のガス・ヴァン・サント監督に相談していました。
猛スピードで車椅子を走らせる姿を、監督が実際に近所で見かけてもいたから。


しかし、ロビンは自らこの世を去ってしまいました。


あらためてこの企画に向き合った監督は、ホアキンを主役に。
ドラッグの過剰摂取で23歳で逝去した、ホアキンの兄のリヴァーも、監督の作品に主演、友人でした。


もう会えない人たちへの思いが、かけられなかった言葉が、この映画には織り込まれているのです。


ジョナ・ヒルとジャック・ブラック、コメディアン出身の2人のキャスティングにも、ロビンの影が見えます。
ヒルが演じるのは、断酒会を主催する富豪。
世を俯瞰する不思議な佇まいに、すっかり痩せてちょっと美形になった容姿が相まって、なんとも色っぽい導師に。


彼は、12のステップを提示して、キャラハンを導きます。

例えば、何を神様だと思ったっていい、ホラー映画のキャラクターだっていい。
そう言って、神の前の自分の無力を心得ることに意味があると教えます。


すべての人に、助けが必要。
弱さを自覚して助けを求められれば、助けを得て、強くなれる。


キャラハンが、困らせ悲しませた人々に次々会いに行くステップは、どこか現実味が薄く撮られていますが、わかってくるのは、彼の悲しみの根っこは、生まれたそのことにある。

でもそれは、幼少期母親に捨てられた怒りよりも、生まれてしまった自分の存在が母を苦しめたのではないかという思い。
だから彼には、誰かに許されることが必要でした。


「許せない」は「許されたい」の後ろ姿なのかもしれません。


「ドント・ウォーリー=大丈夫」は、許しと受け入れを軽やかに表明する言葉でもあり、抱き寄せて背中をぽんぽんするときに思わず出る声でもあり。
大事な人に示したい、示されたいのは、そういう気持ちだよね、とこの映画は観客と、もう会えない人たちに伝えてきます。



追記/

キャラハンの風刺漫画家としての活躍は80年代に始まり、読者のモラルを揺さぶる狙いとはいえ、性差別的な展開をするネタも少なくなかった。この映画はその点をスルーせず、ぴしゃりと言及するシーンをつくっている。「当時のことだから」では、済まさない。

実話という過去を映画に仕立てる際に、そうした目線はとても重要だと思う。

クリント・イーストウッド監督の最近の作品をきっかけに、「実話の再現」の身勝手について考えていることもあり、この映画がそこで逃げをうたないことに感銘を受けました。


# by hiromi_machiyama | 2019-05-11 17:16
映画レヴュー  『ビリーブ 未来への大逆転』

                                            『and GIRL』2019年4月号




Tシャツにもマグカップにもワークアウト本にも物真似ネタにもなっている、現代アメリカのアイコン。

それはコミックのスーパーヒーローではなく、もうすぐ86歳になる女性。


『ピリーブ 未来への大逆転』は、そんな人物の伝記映画です。


RBGとイニシャルで呼ばれることも多いその人を描いた絵本の日本版タイトルは、『大統領を動かした女性ルース・ギンズバーグ 男女差別とたたかう最高裁判事』。


女性として史上2人目の最高裁判事で、在職25年以上。

お堅い法衣に、白いレースの襟飾りをあしらうのがお決まりの、おしゃれなマダムです。


アメリカの最高裁判事は9人ですが、ルースに集まる人気と信頼は圧倒的。

昨年体調を崩した際は、その無事を祈ってクリスマスツリーにルース人形を飾るブームが起きたほどでした。


最高裁判事の任期は終身で、任命するのは大統領。

トランプ大統領のもとで3人が交代、もしルースが去ると、判事9 人の構成に思想的な偏りが強まる懸念からも、彼女の存在は「トランプ的なアメリカを望まない」「公正で平等な社会を希求する」人たちにとって、頼みの綱であり希望であり。



そんなヒーローの2030代はどんなだったのか。

ご本人の甥が脚本を書いたこの映画は、ハーバード大学法科大学院の入学式から始まります。



時は1956年。

超名門校の500人の学生のうち、女性はたったの9人。


男性エリートの育成を目指して運営され、女性は想定されていない状況。

しかもルースは、子育ての真っ最中にあって。


貧しい家庭に育ち、母親を早くに失い、必死に勉強してきた彼女は、大学で出会い、結婚。

この夫が、料理の苦手なルースをキッチンから遠ざけて得意の腕を振るい、子育てに当たり前に参加、妻の才能や活躍を素直に喜べるという、なんとも理想的なお方。


しかも演じるのは、育ちも顔立ちも整いすぎるほど整っているアーミー・ハマーゆえ出来過ぎとひがみを言いたくなりますが、こういうお相手を見つけられるのもまた、ルースの才能であり賢さなのかも。



でもどんなに優秀でも、自分のいる社会や時代を選ぶことはできません。


ルースは学内では女だからと教官たちに軽んじられ、それでも猛勉強してトップの成績で卒業したのに、就職できない。

次々に断られてしまって、目指していた弁護士になることができない。


その理由の一例が、もし女性を会社に入れて一緒にがんばると「奥さんたちが嫉妬するから」。


これ、男性の多い職場に女性が加わるときの、意外なあるあるです。

「あなたや奥さんが思うほど、あなたは男性として魅力的じゃないですけど」と言ってやりたくなる、腹の立つ言いがかり案件。


ルースはそうした自身の体験からやがて、女性そして立場や力の弱いあらゆる人が不当に扱われている現状を変えようと活動を始めていきます。



けれども、70年代の社会 はまだ、女性を差別していることにさえ気づけていません。

先の見えない闘いを、彼女はどうして続けることができたのでしょうか。



監督のミミ・レダーも女性です。

今でも女性が少ない撮影技師を志し、職人的な監督としてキャリアを積んできた60代。

ルースの苦闘に、自身の経験を重ねたに違いなく。



ルースが大切にしているのは、「疑問を持ち続ける」こと。

疑問を持てば、学びたくなる。夫からも娘からも学べる。

この映画はヒー口ーを、学び続ける人として描きます。



疑問を手放さない、そこからなら偉大な先輩を真似できるかもしれないと勇気が湧いてくるはずです。


# by hiromi_machiyama | 2019-05-11 16:57
アニエス・ヴァルダ監督『顔たち、ところどころ』パンフ

『ふつうの人々のあたりまえの誇り』


ツートーン・マッシュルームカットの可愛らしいおばあちゃん、な見た目に安心してはいけない。
これは切れ味の超鋭い、天才 の仕事。
まぎれもない傑作だ。

共作クレジットになっているが、『顔たち、ところどころ』は今年90歳になるアニエス・ヴァルダの、幾多の輝かしい仕事の新たな頂点と言える。
映画を仕掛ける、現場で起きたことを余さず的確に撮る、自在に編集する。
各段階での発想の豊かさ自由さ巧みさが凝縮された、映画エッセイにして、アート製作ドキュ メンタリー。

「ヌーベル・ヴァーグの祖母」という形容詞が後付け、追っかけにすぎないことが、よくわかる。
そもそものちに整理される「新しい」は、アニエスの身の内にあったのだ。

54歳年下の男子アーティストJR との出会いから映画は始まる。
はずが、まずひとひねり。
その遊びで提示された、出会いの得難さ、奇跡の一回性が、この映画を柔らかく貫き、やがて帰着する見事な構成なのだが、まずはひとつひとつのエピソードを楽しみたい。

JR は、社会的な問題を擁する場所でそこに暮らす人のポートレートを大きく貼り出す、という作品を発表してきた。
そんな彼を、アニエスはふつうの田舎町、フランス各地へと連れ出す。

農家、港湾労働者、工員。ふつうの人の、人生の凄み。
思わぬ金言。
初対面の会話からそれを引き出してしまうアニエスは、さらには少々の演出を仕掛けて、演劇的で象徴的な場面もつくりだす。

JR の写真が加わると、さらに事態は変化する。
アートが、心動かす瞬間がつくりだされる現場を続々と目撃させられて、クラクラしてくる。

田舎町のふつうの人たちからひきだされる、「ストをする自由」「あなたも主張し続けて戦って!」の言葉。
フランスらしい、と言えばそうだが、それをひきだし編集で選択するのは、アニエスだ。

軽やかに始まった、アニエスとJR の田舎さんぽが、自由や人権、大きなテーマに手を広げていく。
いや、手を広げるのではなく、それらが生活のうちに含まれているのが当たり前、というのがアニエスの考えなのだと思う。

ふつうの人が自分の仕事や生活に持っている誇り。敬意をもってそれを撮る、聞く。
その誇りを顔として、大きな写真に掲げる。
二人はそんな仕事を重ねて、旅をしていく。

アニエスは老いの実感を隠さず、その素顔をあらわにしていき、思い出に繰り返し立ち止まる。
そして、JR と同じ黒眼鏡の男にして若き日の友人、映画の革命児ことジャン・リュック・ゴダールを訪ねるのだが。

その結末にあっけにとられ、たちあがってくるのは、人生の一回性、すべての時間への愛おしさだ。

戻らない、失われる。
だからこそ、各々の瞬間を、人との出会いを、自分自身を大切にし、誇り、他人のそれにもまた敬意をもたなくては。

甘哀しいギターが響くエンディング、胸がいっぱいになる。

(『I n Red』2018 年 9月号からパンフレットに転載)



アニエス・ヴァルダ監督、ありがとうございました。



# by hiromi_machiyama | 2019-03-29 21:42 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』 『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』
                 『In Red』2019年1月号掲載



好きな服を着よう
自分が好きな服を


ココ・シャネルがジャージ素材を採用した時。
マリー・クワントが、ミニスカートを提案した時。

女の服装が「あるべき姿」からはみだすと、社会は嫌悪で迎えた。
見える景色が変わることに、社会の変化を察知するからだろう。
女は景色じゃないのにね。


だからこそ、ファッションは面白い。
自分が着たい服を着るのは、けっこう大事なことだ。



70年代のはじめにロンドンで音楽と同時発生で生まれ、今はファッション においてジャンルやテイストのひとつに落ち着いているパンクは、登場した時、 社会からとりわけ嫌悪された。
そのファッションの生みの親で、以降40年、最前線に居続けるその人に3年間密着したドキュメントが、『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』だ。


全部見せてくれる。
なにしろ、ブランドのコレクションは現在、ヴィヴィア ン自身は指揮にまわり、25歳年下の夫アンドレアスがつくってること、元は彼女の教え子だった夫が現場を率いるのにスタッフが不満を持っていることなんかが、明かされてしまうのだ。

そしてこの映画は、ヴィヴィアンが拘束衣をヒントに発明し、セックス・ピストルズのメンバーが着て社会に衝撃を与えたはずのその服が、今や博物館に保存され、学芸員がうやうやしく開陳するその様子に荘厳なクラシックを流して、なにやら茶化してみせもする。
偉業だけれど、これって死体だよね、とでも言いたげに。


ヴィヴィアン自身も、パンクは、唾する者も受け入れる英国社会の懐の深さを喧伝しただけ、社会を変えられなかったと振り返る。


では諦めたのかといえば、全然違う。
最近もデモの先頭に立ち、熱心な活動 でスタッフを困らせたりしている。


周りにモデルがいようと、その場で一番、自分の服をかっこよく着こなしているヴィヴィアン77歳。
ビジネスの巨大化グループ化が進むファッション界で、DIY=自分で作るというパンクの精神を譲らず、独立して事業を続けられているのは、過去の二人の夫との間の息子たちも、52歳の時に結婚した年下夫も彼女への敬愛を深めるばかりなのは、なぜか。


だんだん見えてくる。
今も店に自転車で通うように、自分の頭で考え続けて、安住しない。

ヴィヴィアンの信条は、疑問を持ち続けて、かかわり続けること。
それは、自分自身を手放さないための確かな方法だ。




二人目の夫マルコム・マクラーレンが、 夫婦で経営する店「SEX」の店員と常連を束ねてピストルズをつくった頃。同じくロンドンで、「バンドをやりたい」と動き出してる女の子たちがいた。

76年に結成された、世界初の、女の子だけのパンクバンドをそのはじまりからたどるドキュメンタリーが『ザ・スリッツ:ヒア・トウ・ビー・ハード』。
スリッツが意味するのは、女性の身体の真ん中に開いてるあの部分でもあり。


バンドの支柱、ボーカルのアリ・アップは、結成当時14歳だった。
残っている映像はあまり多くない。
「歴史から消された」と研究者の女性は憤る。



あらゆる権威に歯向かうはずのパンクは、暴力性を高めるうちに男性優位主義を強め、ナショナリズムにさえ接近していった。
スリッツは短い活動期間ながら、自分たちの音楽を探し、ステージで踊りまくり、レゲエやエスニックなサウンドにも自由に触手を伸ばしていく。
闘いながら。



ベースのテッサが部屋でスクラップブックを読み返す様子を親密な縦糸に、みんなに「できる」と思わせてくれた、亡きアリ・アップという中心の空白に収斂していく構成に愛がある。


女の子が好きな服を着てるだけで殴られた時代に、好きな服を着て言いたいことを言うんだ!と闘って、自分たちだけの表現を探し続けた。
勇敢な、世界初の行動は、現状に疑間を持つ後輩たちを鼓舞し続ける。


# by hiromi_machiyama | 2019-01-01 21:03 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー  『アリー/スター誕生』   
                 『and GIRL』2019年1月号





『スター誕生』は、歴史の浅い国そして映画の国、アメリカにおける神話です。

1937年に映画『スタア誕生』が作られ、リメイクは54年、76年、そして『アリー/スター誕生』が3回目。
そのストーリーをヒントとする映画も、近年の『ラ・ラ・ランド』など多数。
アカデミー賞受賞作にもたくさんあります。


そんな神話の再生ゆえ、主演ビヨンセ&監督クリント・イーストウッドという企画がながれた後、大いに注目を浴びて制作に。
もともと女優志望でもあったレディー・ガガがついに初の主演に挑み、監督は俳優としての成功は申し分ないものの、演出の力量は未知数のブラッドリー・クーパー。

その結果は、興行成績も評価も上々。
アカデミー賞ノミネートも確実視されています。



そしてこの映画、ちょっと意外な仕上がりです。



まず、神話のあらすじをあらためて。
手の届かない夢を諦めかけていた女性が、スターである男性に見出され、ステージへ。
彼女の才能は開花、大きく実っていきます。
互いの素晴らしさを他の誰よりもよく知るふたりは愛し合いますが、やがて人気が逆転。
男性はそれまでの活動で頼ってきたアルコールやドラッグに心身を蝕まれていて、その苦境はさらに深まり、やがて別れが。


オリジナル版では映画スター、76年版からミュージシャンの物語になり、今回も音楽業界が舞台です。


この物語は、主役の女優を輝かせる役どころとしても周知されています。

冴えないその他大勢だった女性が、どんどん輝いていくその変貌ぶり。
愛情にも恵まれる夢の日々で満たされたはずが、次第に傷ついていくその痛み。
さらには愛する人への献身、絶望、そして最後にどんな表情を見せるか。
見せ場がぎっしりの作品だからです。



しかも、54年版のジュディ・ガーランド、76年版のバーブラ・ストライサンドがそうだったように、すでにスターである女性が業界内恋愛を演じることの面白さ。
ご本人と役柄が重なる、きっとこんな恋愛も体験したに違いない、と少々下世話な興味を誘うのもこの映画のお楽しみ。

実に要求される要素の多い役柄なわけですが、ガガは満額回答。
歌唱はもちろん、演技も「ガガ様が演技してる」という雑音を感じさせません。
特に、怒りを表現すると輝いて、その熱には圧倒されます。
自身で作った楽曲も、器用にジャンルを横断しつつ心に刺さるもので、あらためてアーティストとしての懐の深さにうならされます。



そうなんですがこの映画、今までの3作と一番違うのは男性側の比重が大きく、終わってみれば、脚本作りにも参加したブラッドリー・クーパーが主役にさえ思えてくること。



冒頭は76年版のクリス・クリストファーソンへの憧れを隠さない、低い声を作ってのなりきりぶりにとまどいましたが、それをちゃんと自分のものにして。
さらにはその、もがき堕ちていくスターの背景を今までになくていねいに描いて、有名すぎる物語に新味を加えています。

ガガ率いる楽曲制作にも参加し、天下のガガ様と同様に、口パクなしの撮影現場でのナマ歌唱に挑み、なんと有名フェスのステージに上がってのなかばゲリラ的な撮影さえも。
完全に出演者目線で撮られたライブシーンは、とても新鮮かつ濃厚な臨場感。



女優を輝かせる神話で自分をかっこよく見せちゃうクーパーに、感服しました。
そしてガガ、演技も歌も素晴らしいだけに、この役そしてこの役を演じた先輩みたいに、私生活で苦悩を重ねずにすむよう、ついお節介な願いをかけてしまいました。


# by hiromi_machiyama | 2018-12-30 22:17 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー       『メアリーの総て』  
                『and GIRL』2018年12月号


「若い女に絶望や苦悩は表現できないと思っているのですかっ!」
その咆哮に、心臓が凍りつく痛みと、血が湧き立つ情熱を感じるために、映画館へ走ってください。

これだけで伝わる人には十分伝わるはずですから、もう原稿を終わらせてもいいくらいですが、蛇足を書けば、これは200年前に、19歳の女性があげた怒りの声。

声の主は、メアリー・シェリー。
『フランケンシュタイン』の著者です。

その登場人物は世界に知られ、長く読み継がれ、書き込まれた思いが多くの人を刺激し続ける小説。
メアリーはわずか18歳のときに書き始めました。

何が彼女をそうさせたのか。
女性に投票する権利さえなかった19 世紀のイギリスで、この傑作の着想を得て、ついに書き上げるまでの苦悩と絶望と復活を描くのが、『メアリーの総て』。
史実に基づいています。



エル・ファニングが、メアリーに。
この映画が作られるときに彼女がまだ10代だったことを喜びたい、申し分のないキャスティング。

さらに監督は、映画館の設置が法で禁じられているサウジアラビアで「初の女性監督」になったハイファ・アル=マンスール。
彼女にとって、女性の権利や選択が大幅に制限されている社会は身近なものです。



映画は16歳のメアリーの、詩人パーシー・シェリーとの出会いから。
一目で心惹かれた彼は、父親に弟子入りしてくることに。

父親は書店を営みつつ、無政府主義をとなえる学者。
メアリーはそんな父親を慕いつつ、自分を産んで亡くなった母親に少しの罪悪感と多大な敬愛を抱いている。
女性の権利拡大を訴えたくさんの著書を残した急進的な思想家で、結婚についても独自の考えを持ち、両親は3人婚を。
今は、そのもう1人の妻や彼女の子どもたちと暮らしていて、居心地はよくないけれど、年齢が近い義理の妹は親 友のような存在でもあり。

メアリーはパーシーとの結婚を願うものの、彼には妻子が。
しかし身ごもり、妹もまた、現在の日本にも信奉者の多い大詩人に惹かれ、乱れた交遊で有名な彼と深い関係に。



メアリーは・パーシーとの間に、愛と信頼を実らせることができるのでしょうか。
愛も裏切りも次々と荒波のようにメアリーをのみこもうとしてくるなかで、世界を変える傑作はどのように書かれるのでしょうか。



メアリーはたくさんの死に立ち会います。
運命の過酷さには抗えないと、身をもって知ることに。

そして、強烈な喜びと苦しみをもたらして彼女を変えてしまうパーシーを、この映画はフランケンシュタイン博士と重ね合わせてみせます。
そう、フランケンシュタインとは死体をツギハギして作られた醜い怪物ではなく、怪物を作った博士のこと。
メアリーは自分のうちに身もだえる醜く破壊的な感情を怪物に託してもいたのでしょう。

小説『フランケンシュタイン』のタイトルは実は、『あるいは現代のプロメテウス』と続きます。
ギリシア神話で神の世界から火を盗んで人類にもたらす人類創造の神を、博士に重ねたのですが、メアリーもまたプロメテウス的な存在となりました。

この小説はSFの開祖と言われ、手紙で構成された形式もひとつの発明でしたし、悪が確定せず存在の不安を問う物語も新しく、後の小説や映画に絶大な影響を与えました。

この映画で語られない部分はありますが、恋愛のすったもんだを見届けつつ、冒頭の言葉に立ち合い、
さらに「●●が、私を創った」という至言にどうぞ圧倒されてください。
苦しみ憎しみに溺れたとき、浮き輪になってくれるはずです。


# by hiromi_machiyama | 2018-12-29 23:59 | 雑誌原稿アーカイヴ
映画レヴュー       『あまねき旋律』                                        『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』    
                                  
                『In Red』2018年11月号掲載



ともに生活すること
働くこと歌うこと


例えば、都心で生まれ育った私は1、 2カ月おきに数日間を那覇で暮らすことにして2年になるが、場所で人は変わると思う。

那覇の街猫は落ち着いていて、人が近づいても首をあげチラ見したらまた寝てしまうし、なんなくお腹を見せてくる。私もそんな感じになる。

でも、羽田を出たらもう、行列がもたつけば原因を探ろうとしてしまう。
よけいな恐怖心のせいだ。




『あまねき旋律』はインド東北部、ミャンマーとの国境近くにあるナガランド州で撮影された映画。
そこで暮らすナガ族、それは16以上の民族の総称で、州内のペク県の人々が歌う「歌」がこのドキュメンタリーの主役だ。

だが、インド南部出身で男女コンビの監督でさえ、各地の音楽を取材するうちこの「歌」を知ったという。
それほど知られていなかった。

美しい。
複雑な多声。
即興で瞬時に編み込まれては消える。


だってこれは、歌のための歌ではない。


歌い手は田畑で働く人。
急な斜面の棚田で過酷な農作業に励みながら、歌う。

だから、建築が生業で畑作業をしないある兄弟は歌えないと話す。
歌が作業をつくり、作業の単位となるムレの結束を確かにし、作業と生活の安全を知らせ喜び合う。


そしてこれは、ただ美しい棚田の景色と歌だけの映画でもない。


ナガ族には、首刈り族の異名もある。
独自の文化を持ちながら、イギリスの植民地支配、インパール作戦による日本軍の侵攻という経緯があって、やむなくインドの支配下に。
以来、半世紀以上も分離独立のための闘争が続き、拷問や強制収容、おそろしい弾圧を受ける間に、各民族の対立も複雑化していった。

知らない素晴らしい歌から、知らない歴史と現実へ。
どんどん知らない場所へ誘いだしていく構成がうまい。

数人に会話をしてもらう形式のインタビューも功を奏している。
お互いへの思いやりや愛情のあり方がわかってくる。

歌詞は「あなたがいなければ真実の愛は見つけられない」と訳されるが、これは私たちが簡単に思い及ぶ「あなた」や「愛」だけを指すだろうか。
作業の仲間、作物を実らせる命の営み、この世があること、万物を歌っているのではないか。

脱穀の作業、歌い踊っての楽しそうな人々を見て、落涙した。
満たされるとはこれかもしれない。




『ニューヨーク、ジャクソン・ハイツへようこそ』はニューヨークのクイーンズ区、ジャクソン・ハイツと呼ばれる地域で撮影された。

189分の街角ウォッチング。
特にスポットライトが 当てられる人物はいない。

古いアパートが立ち並び、住民の多くが移民。
167の言語が飛び交う。


「ここは真のアメリカというべき、人種のるつぼ」と、監督フレデリック・ワイズマンは解説する。
ナレーションなし、テロップなし、スタッフからのインタビューもなし、事前取材は最小限、取材と撮影の同時進行で撮りに撮ったフィルムを精査、編集で作品を作る。
という手法に徹し、たくさんのパワーある作品をつくったドキュメンタリー界の開拓者でトップランナーだ。


移民の街は今、再開発に揺れている。
どう自分たちの生活を続けていくのか。
それは政治にとどまらない日常で、解決は住民によって日々模索され、そこから金言がこぼれ落ちる。


移民は「奪いにきたんじゃない。命と汗を与えにきた」。

移民の理由を聞かれたら「選挙と答える。民主主義を理解してるってわかるから」。

子どもが地元の学校へ通えず外へ出ていくのは「頭脳の流出だ」。


ハッとさせられる。
生活を続けるためには、守るんじゃなくて、変える。
解決に近づけるために、進む。

欠落、不足という恐怖にとりこまれずに、さあ生活を続けよう。


# by hiromi_machiyama | 2018-12-28 22:17 | 雑誌原稿アーカイヴ
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