『ヘリコプターとふんどし』
        早稲田文学2018年春号
        金井美恵子特集       掲載





「しかし、ヘリコプターは音こそすさまじいけれど、おずおずと、しかし興奮はして、何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ。」

というのは、金井美恵子がテレビだけについて書いた数少ない文章の最後の2行である。

83年10月。
 
田中角栄に東京地方裁判所からロッキード事件において懲役4年追徴金5億円の実刑判決が下るその日の朝、田中邸の上空に集結した報道各社のヘリコプターが撒き散らす騒音は、ご近所に暮らす金井美恵子の眠りを破った。

豪邸の広さを強調することが「テレビ的金権政治の表徴」であるがゆえ、「そこで事件の全てが起きたわけでもないのに、あたかも現場のように上空から撮影され」生中継されたのである。

起こされたその人を、「今さらのように、テレビというものの〈映像〉の芸のなさに驚嘆」させて。

「鉄球とヘリコプター」と題されたこの文章は、同年がテレビ放送30周年にあたるため各所で発表されたアンケートで、最も印象深く記憶されているテレビ番組として浅間山荘事件が上位を占めていたことを参照する。

事件なのに、番組。

72年の浅間山荘事件は確かに、事件の経緯より鉄球が有名だ。

最長の中継時間と最高の視聴率(NHKと民放の合計)を記録したそれはテレビ史に残る現場中継だが、当然ながらカメラは建物の中に入れるはずがなく、たてこもりに至るまでの自撮り映像がネットに転がってるわけもなく、連合赤軍がたてこもる建物の壁に鉄球が打ちつけられそれが壊れていく様が放送時間の少なからずを占めた。

主演、鉄球。

その退屈な時間は「反復的な表徴を産出」し、鉄球と壁の生中継番組が浅間山荘事件と記憶された。

そのならいでテレビは、「大事件であることを強調するために、ヘリコプターを飛ばす」。

あの鉄球のような役は果たせずとも、自分たちのヘリコプターが出す騒音混じりの中継映像は、大事件の緊迫感を増幅させることはできる。

カラだが。






テレビには、実はカラの〈映像〉が多い。

ニュースで昨夜の事件が起きた現場から中継がなされるが、そこでその時間に行われているのは現場検証がせいぜいであって、当然ながら事件ではない。

バラエティは何かが起きるのを楽しみに見てもらうものだが、言いかえれば放送時間の大半は、何かが起きそう、であって、何かが起きてるわけではない。

カラの映像を意味ありげに見せるのは得意で、やり続けていると、カラがカラでなくなると信じられている。

信じればかなう。

そしてテレビは「映像ではなく反復的な表徴を産出」する。

金井美恵子は『反=イメージ論』と題された別の文章でも、職人や芸術家の今まさに作品を作り出している手先よりも眼の、作家については手の、クローズアップを多用することをうんざりと指摘している。

意味がべたべたと貼り付けられたカラの共有に慣れ親しむと、北朝鮮の脅威というカラの号令に、頭を抱えてしゃがみこむことがなんなくできるようにもなる。






それにしても、「何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ」はいとも手短に、テレビを言い尽くしている。

読んだのは2013年発行のエッセイ選集に収められてからだが、書かれた当時の私はきっとこれを読んだところで、自分がこれから働く職場がこんな短い一文に収納できるとは考え至らなかっただろう。

しかもこの最後の2行でヘリコプターの振る舞いが、期待で顔を火照らせて女の寝室に足を踏み入れた男のごとく描写されているのが、撒き散らされる騒音を高笑いではね返すようで楽しい。

むなしく砕ける騒音の粒が白く濁って見える私は、調子に乗りすぎだ。






だがいつも、調子に乗ってしまう。

金井さん(ここまでもっともらしく金井美恵子と書いてきたが、トークショーにいそいそ出かけて編集者に紹介してもらい、姉の久美子さんもいらっしゃる席で食事をしながらお話できたことは今思い出してもただうれしいので、さんづけが落ち着く)が書いた小説や批評、詩、エッセイを読むと、その脳みそにライドする感覚があり、いや金井さんの脳みそにライドできるなんてそれは明らかに間違いなのだがそう思いこみたくもなる走行感を確かに感じて、それは私を調子に乗らせずにおかない。

ライドすると、スピードを得る。

痛快に進む。

景色はとび去り、後方に片付く。

うひょーと奇声をあげたくなる。
 





という説明はいかにもカラなので、つまりこういうことですと私は、表紙に猫がぬうと構える『ながい、ながい、ふんどしのはなし』を差し出し、その表題作を示す。

金井姉妹がそれぞれ殿山泰司に口説かれた事実も明かされる愉快で鋭利な人物スケッチやエッセイの前に立つ、およそ1300字。

83年の秋に書かれたそれは、引き写そうと刃をいれるのが憚られる美しさゆえ、読んでもらう以外の方法はないのだが、幼児の頃の金井姉妹が寝床で父親にねだると、空を見上げたら白い布がながながと落ちてきてそれはふんどしだったというおはなしが繰り返し披露された。

白い布がただ落ちてくるだけで、意味も物語もない。

そして、おねだりから語りを聞いて眠りに落ちるまでは毎回同じような段取りで、形式化されたそれをなぞること全体が楽しいお遊戯だったという。

そしてここでまた私は冒頭と同じく、最後の2行を引き写す無策をさらすが、それに勝る手がないから仕方がない。






「その後で父親はすぐ死んだので、無意味に白くきらめきながら際限もなく落ちて来る布は、その後、わたしが書くようになった「言葉」そのもののように見えるのだ。」






金井さんの文章を読む。

私はながい、ながい、ながあいふんどしにライドする。

うまく乗れなくて、ふんどしの端をつかんでびゅんびゅんと振り回されるばかりで、落ちているのかのぼっているのかも判然としないが、気分がいい。

奇声をあげる。

進め進め、ふんどし。


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# by hiromi_machiyama | 2018-07-18 23:15 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
『余談』から



実家がないならつくればいいじゃない
Let them make home




実家がない。

新宿区と千代区の賃貸を五軒移り住んで育ち、四軒めで別の自宅ができた父親がいなくなり、六軒めの江戸川区の公団住宅を出て働き結婚し、そこが実家になったはずだったが、母親が自己破産せざるを得なくなって居られなくなり、その母親も亡くなると、実家はなくなっていた。
めずらしくもないだろう。

独身に戻って三年程前からは、放送作家としての師匠が暮らした部屋を、ご遺族の方から借りませんかと提案され、ありがたくそうさせていただいている。
「ヴィンテージマンションをお探しのお客様がいらっしゃいます」というチラシがよく入っている昭和五十年代生まれの建物で、例のスクランブル交差点にほど近く、仕事にはとても便利な立地だ。

だけど「実家にでも帰って、ちょっとのんびりしてきなさいよ」と言われた時に、行く場所がない。
ブラウン管時代のドラマなら、行きつけの喫茶店のマスターかスナックのママにそう労られて、返事も返さずにタバコの煙を深く吐き出す場面だ。
たいへん困る。
ないと困る。
井上陽水には傘がないし西田敏行にはピアノがないし東京には空がないし、私には実家がない。


ないならつくればいいじゃない。
思いついてからは早かった。
一昨年の秋、那覇市内に四万八千円のアパートを借りた。
毎月は無理だが二ヶ月に一回くらいは帰り、用もなくあたりをうろうろする。
近所で映画を観て、本を読んで、お酒を呑む。少し長く眠る。
実家があればするようなことをして、東京に戻る。

沖縄を選んだのは、東京から遠く、しかし空港から那覇の街が近いとか、イオンに征服されていない地方都市だとか、冬の備えがいらないとか、そんな理由もあるが、以前にも自分のきっかけになった場所だからだ。


大学に入学してもまもなく、ゴールデンウィークに友達と沖縄へ旅行することになった。
旅費は彼女が付き合ってるおじさんが私の分まで出してくれて、ビーチでハッピーでアメリカンな沖縄に行ける。
やったじゃん。
バブル景気のさなか で、愛人契約が流行の遊びで、私と友達の眉は太かった。

おじさんは節約と下心の一石二鳥で、ダブルの部屋をひとつしかとっていなかった。
ダブルベットの端っこで、逆の端っこのおじさんの気配を頭の中で消し、隣りの友達のいつも と違う声に耳をくすぐられながら眠ろうとする。
笑い出す前に寝なくちゃ。
 
天気はとてもよく、沖縄のその時期の日差しの強さを知らない私は対策を怠り、目や肌をひどく腫らして無様な格好だったが、目新しいことばかりでとにかく楽しい。
おじさんを東京へ放り出してからはなお楽しい気持ちになり、友達と国際通りの店をあれこれのぞくうちに、宮古島出身の兄弟が古着のジーパンを売る店に落ち着いた。
なにを話したわけでもないが居心地がよく、他の店を回ってまたその店に戻ると、兄弟の仲間が溜まっていて、バイクで日本一周中だけど沖縄から出られなくなったとか言っている。
 
東京に帰らなくちゃいけない理由なんてあったっけ、と気づいてしまった。
自己啓発本には出てこない、ためにならないほうの「気づき」である。
友達は気づきもなく帰り、私には泊まるところもお金もない。
店に遊びに来ていた東北出身の琉球大の学生が、部屋に泊めてくれることになった。
タオルケットー枚借してもらえれば、十分。
昼は国際通りの店に遊びにいき、そのまま三、四日。
やっと母親に連絡したら、捜索願いを出そうか悩んでいたんだと泣きそうな声で言われ、あわてて東京に戻った。

もうそれから大学には行かず、仕事を探し、数ヶ月後には制作会社のADとして雇ってもらい、その後放送作家になった。
入学したら体育の授業があって並んで走らされ、「大学って学校なんだ」と驚いたし、サークルの新入生歓迎会に参加して同じ酒の席ならそれまでに経験した水商売のバイトのほうが自分には快適だとも感じていたから、大学をやめるのは時間の問題だったが、履修登録もせずに行かなくなるとは。


沖縄は、軌道を外れた、きっかけの場だった。
保証人になってくれる県民がいないと部屋を借りることは難しいのだが、かつての同僚がUターンしていて、即決で請け負ってくれた。
二十年近く会っていなかったのに、今とは比べようもない程ひどい労働条件のもと、テレビの制作現場で一緒に働いた時間の濃さがありがたい。
 
実家をつくった効果は、小さくなかった。実家もグラビア写真に映った乳首も政権の関与も、あるとないとじゃ全然違う。
つくってみてわかったことだが、自分から仕事を省いた、残りの自分がわからなくて不安だったのだ。
例えば、スピードがわからない。
テレビ業界のそれに馴れ過ぎた。
でも、実家をつくったら、自分の中に沖縄の実家のスピードができた。
安心した。


初めての沖縄でも、私は安心したのだろう。
大学はやめたいが、不安だった。
でも、知らない場所でも楽しくやれる、自分は大丈夫かもしれない、どうにでもなれと思えた。

おじさんを使って私を連れて行ってくれた大事な友達は、その二年後に結婚し、その三年後に酔って階段から落ちて亡くなってしまった。
中島らもじゃあるまいし、まだ二十四歳だった。死んだということがよくわからなくて通夜でもやたらと腹がたつだけで、数日後に『スイート・スイート・ビレッジ』というチェコ映画でおっさんがタ食用のウサギを吊るして腹を割くのを観ていたらやっと、友達が死んだんだとわかって、ぼうぼう泣いた。


実家をつくって一年になるすこし前、去年の夏の終わりのこと。
なにしろ実家だからご近所をまわるばかりで過ごしてきたし、土地勘がつき自分にとって街が近くなってくるのが楽しかったが、そろそろすこし遠出もしてみようという気になった。
免許を持ってないから、移動するなら車より船がいい。
作家とナレーターを兼任している『幸せ!ボンビーガール』という番組で知って、気になっていた島がある。
ネットであれこれ調べたりせず、地元っぽくふらっと行ってみよう。

那覇市の泊港から、フェリーで九〇分。
慶良間諸島の阿嘉島に着くと、港の青さに驚く。
ケラマブルーとは聞いていたけれど、ビーチだけじゃなくて、島をかこんでまるっと、海が青や緑に透けている。

「自転車で15分で一周できちゃう」という自分が読んだナレーションを確認しようと、宿で自転車を借りた。
本当だった。
宿は数件しかなく、ひとり客は相部屋が当たり前らしい。
飲食店も当然少なくて、昼食は漁協の売店で食べた。
ケラマジカにしっとり見られた。
シカに見られると、どうして質問されている気持ちになるんだろう。
自転車で隅々まで走りまわるのが、楽しい楽しい。
でも早々に、走り終えてしまった。
宿にもらった地図を見ると、阿嘉島から隣りの慶留間島まで、橋を渡って行けるようだ。遮るものがなく地面の照り返しも含めまさに全方向から強烈な日差しをくらい、大汗をかきながら、百メートルちょっとの阿嘉大橋を渡った。


阿嘉島は一九四五年三月、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島だ。
そしてこの島の集落では、集団自決は行われなかった。
慶留間島は、そうではなかった。

橋のたもと近くには陸軍の特攻艇が隠されていた壕の跡が、集落の手前には「伊江島村民収容地跡記念碑」がある。
翌四月に米軍が伊江島を占領、伊江村民が捕虜としてこの島に収容されていたことを知った。
収容はそれから1年。
東京ではもう、戦後が始まっていただろうに。


集落の奥、海岸へ降りる前に自転車を置く場所を探していたら、左手に建物があり、門の奥に海が見える。
「慶良間小学校」の看板。
校庭が砂浜に続いている。
なんて素晴らしいとのぞいていたら、「入っちゃダメなんだよ」。
男の子がこちらを見ていた。
二年生ぐらいだろうか。
「大丈夫、入らないけど、自転車止めたいだけ」「名前なんていうの」。
意表を突かれて姓だけ答えると、姓&名をはっきり名乗られた。

とうま君は真っ黒に日焼けして、白いTシャツの胸にはモノクロ写真のプリント。
そして指示に従い、海に面して立つ集会場の横に自転車を止めて、海のほうに行こうとするとついてきた。
建物の周囲をかこむ側溝を指し、「ねえ、ここの水、どこからつながってると思う?」
一緒にのぞきこんで「わかんないねえ」と応じると、「捜査しよう!」
巻き込まれた。

「わかんない」を「教えて」に聞くなんて。
返事も聞かずに勝手に巻き込むなんて。
漫画や映画でしか見たことがない展開。
ついていくしかないじゃない。
とうま捜査官が水の流れをたどるのに、私は同行する。
「水が増えたり減ったりするね、不思議だね」と捜査に協力する。
捜査結果は察しているが、言わない。
とうま捜査官も 実は知っているのかもしれないが、大事なのは協カすること。
そして、結論にたどりつく瞬間を共有すること。
 
とはいえ、強い日差しのもとで下を向いて捜査を続けていたため、後頭部の熱さがいよいよ堪え難くなり、私はスイッチを押す。
「海のほうとかかなあ」、とうま捜査官がさっそく発見する。
「ここの水は海とつながってるんだ!」
捜査は無事終了。
捜査官も解雇。
すると、すこしの空白も許さず「公園行くよ!」
答えを聞かずにいきなり宣言するのは、私がついてくるって信じてるから。
信じてくれるなら、ついていくしかないじゃない。
こんなデートを夢見てた。

走り出したとうま君を追う。
映画『フォロー・ミー』でトポル探偵がミア・ファローを尾行してたどりつくロンドンのケンジントン公園は広いが、この公園は小さく、芝生の緑が濃い。
駆け込んだのは公園の外れで、椅子と机、机の上にはガラス瓶がある。
「研究所かな」「うん、研究所だよ」、その瞬間からそこは謎の研究所だ。
ガラス瓶の中には、砂や小さな貝が入っている。
ふたを開けて匂いを嗅いだとうま君が「くさっ!」、私も嗅がされる。
臭い。
ひどく臭がる私が、とうま君を喜ばせる。

「こっちきて!」
公園に隣接する建物の階段下のへこみに入るように指示され、そこに収容されると、壊れた柵を足もとに立てられた。
「出られないよ」。
それは呪文で、謎の研究所の隣は牢獄になり、脱出不可能だ。
実験されてしまう、おそろしい。
助けを呼ぶ。
それなのに、「ちょっと待って」といなくなり、建物を一周して戻ってきた。
なにも変わってないが、実は建物の裏にはワカンダから瞬問移動してきたフォレスト・ウィテカーが居てヒーローになれるハーブを飲まされてきたのかもしれない。
もう一度助けを呼ぶ。

「助けるよ、男の子だから」。
柵は破壊され、私は救出された。
男の子が男の子だから助けてくれるなんて、ずっと前に思ったことがあるような気もするが、思い出せない。
でも、ヒーローが言うなら本当だ。
と思ったら、悪魔の研究所も牢獄も消えていて、このフェードアウトがなくすべてが食い気味のカットアウトという演出が心をかき乱してくるわけですが、公園の真ん中の丸いジャングルジムの真ん中にとうま君はいた。
「まわして!」

ところがだ。
どこからともなく、同級生くらいの女の子が走ってきて、とても勢いよくジャングルジムを回してしまった。
「上手だね」と声をかけたが、彼女は走り去った。とうま君を回していいのは私だけ、というメッセージをしかと受け取る。


それにもう、宿に戻る時間だ。
思いきって帰ると言うと、とうま君は足もとの貝殻を拾って、「あげる」。
きれい、ありがとう、でも帰ると言うと、今度は木片を拾って「これチーズだよ。あげる」。
たしかにそれは6Pチーズのかたちだけど、炎天下で遊んで頭がくらくらだ。

もう一度帰ると言うと、「なんか持ってるもの、ある?」
おみやげ欲しいのかなとバッグの中をさぐり、水中メガネをあげることにした。
渡すと、とうま君はそれを左手で掲げて、その周りに右手で大きく円を描いた。ここは空港検査場だ。
そして私はとうま君から、言葉をもらうことになる。

言われたその時は、おみやげ欲しいのかなと下世話な想像をした自分が恥ずかしくなっただけだった。
でも、阿嘉大橋を渡る 頃にはうれしくてにやにや笑ってしまい、夜に相部屋の女性と一緒に海へ出かけて阿嘉島の空からこぼれる星を見る頃には思い出して泣きそうになり、その後は女友達にこの話をしては「それ、天使でしょ」「理想の男じゃん」「ついに別世界に逃避か」と言われておっしゃる通りと自慢に鼻を膨らませ、もらった言葉を胸で温めている。

それは、実家をつくった気持ちのその奥を言い当てていた。
欲しいのは、必要なのは、それだったよ。
ありがとう。
水中メガネを返し、とうま君はこう言って私を見送った。

いじょうなしっ


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# by hiromi_machiyama | 2018-07-16 08:57 | Trackback
映画レヴュー『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』         『母という名の女』
               『In Red』2018年7月号掲載



男女を超えてみせた女 女に囚われつづける女
 
女は。
男は。
日本人は。
関西人は。
港区民は。
射手座は。
B型は。
決めつける面白さというのはあるし、失望を慰撫してくれるし、根拠のない希望も時にはほしいし。

でも他人に向けるとなれば、話は別だ。
本人が変えられない属性にはめて決めつければ、容易にそれは差別に堕ちる。
そして、自分自身を枠にはめ歪めてしまうこともある。

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は45年前の史実の映画化。
女子と男子のチャンピオンが戦った。
プロレスじゃなくて、テニスでだ。

きっかけは女子と男子の優勝賞金の格差。
キャリアも人気も十分な29歳のビリー・ジーン・キングは格差に怒り、既存の協会を脱会、仲問と女子テニス協会を発足させる。

男女平等を訴える運動の高まりという時代の追い風を受けつつ、注目と非難を受けて奮闘する彼女に、挑戦状を叩きつけたのは55歳の元チャンピオン、ボビー・リッグス。
男性優位で当たり前でしょ、こっちが強いんだから、とビリー・ジーンを女性たちを挑発。

男女の戦いはどうなるのか。
それぞれが抱える家庭の事情、愛の困難とともに描いていく。

監督は青春映画『ルビー・スパークス』で、男子と女子の願望のすれ違いを描いた、夫婦コンビ。
現在も変革を求め活動を続けるビリー・ジーン・キングの英雄譚におさまりかねない題材を、女性蔑視に囚われた社会は男性にとっても苦しいよねと、笑わせながら浮き掘りにする。

ビリー・ジーンを演じるエマ・ストーンがいい。
強さと迷い。
恋の場面は、ロマンティックで痛みがあって、彼女のこれまでのどの映画のラブシーンより記憶に残る。
メタルフレームのメガネを真似したくなる。

ボビー役はスティーブ・カレル以外に考えられない。
悪態と狂騒の下の、歪みと痛みが愛おしい。
そして、アラン・カミングがこれまたハマり役の、女子テニス協会を盛り上げた実在のデザイナー。
その仕事ぶり、当時のファッションもわくわくする見どころだ。

「強い男、守られる女」という、今も社会を固めている思い込みを、非難するんじゃなく、実態に即してませんよね、幻想に縛られてるとみんながしんどいでしょ、と軽やかに否定する。
フェアで痛快な映画だ。

逆に『母という名の女』は「女」 が暴走するホラーである。

女は、「守られるべき」存在として押さえ込まれなから、母性本能という「守る」能力も同時に期待されている。
この矛盾も厄介だが、そもそも各自が本能を制御することで秩序が保たれているはずの社会で、「本能」を期待されるのも、また矛盾。
 
そして、最近の社会は女に「ずっと若く美しく」も要請する。
恋愛市場で現役としての価値を持つことも、奨励する。
すべては、消費を促すため。

この映画の母、アブリルはそんな社会の期待を全部満たしている。
娘二人を育て、早くも孫を持つことになり、美しく色っぽいヨガのインストラクター。
その彼女が欲望を、さらに追い求めたらどうなるか。

幼子を抱く母。
それが最高に美しい姿だと社会が讃えるなら、それを目指すのが、欲望の果てとなる。

前作『或る終焉』で、「高齢化社会で人間がよく生きる」難しさを物語にして強烈なラストをかましてみせたメキシコ出身のミシェル・フランコ監督。
今回も「女と本能と社会」という厄介な問題を、理屈からスリリングな物語に昇華。不穏がじわじわと侵食、ぞっとする結末が。

男、女、母。
なにかの枠の中におさまるのは、安心。
自分という点に立つとぐらぐらしてこわいけれども、点に立てる人はかっこいい。

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# by hiromi_machiyama | 2018-07-15 19:54 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画レビュー『シェイプ・オブ・ウォーター』       『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』
              『In Red』2018年3月号掲載



輝かないで輝く主役 サリー・ホーキンス



女がヒーローとして輝く映画が増えてきた。
けれど、正義についての葛藤もなく真正面にヒーローを描きづらい現状にあって、女という意外性が便利に使われているだけだとも。

映画は、ヒーローになれない、はずれ者の男もその存在をかっこよく刻める場なのだから、きらきら輝かない女についてもそうであるべき。
そこで、サリー・ホーキンスだ。

造作だけをとれば貧相な、76年生まれの彼女を主役にと、監督が強く望んだ2作が相次いで公開される。

「冷笑的な考え方への解毒剤としてつくった」と監督ギレルモ・デル・トロが語る『シェイプ・オブ・ウォーター』は、人魚姫の物語を新しい器にそそいだ、とても美しい映画だ。
そのかたちを一生、心に刻む人も多いだろう。
 
サリー演じるイライザは、掃除のおばさん。
子どもの頃、首を傷つけられ声を失ったらしい。

人魚姫は人間の男に恋をして声を手放すが、この映画ではすでに声を奪われた人間の女が、魚のような奇怪な生き物に出会う。
おとぎ話を信じられなくなった時代に語り直される、転倒されたおとぎ話だ。

62年、冷戦のさなかのアメリカ。
国が密かに運営する研究施設に、アマゾンで捕獲されたそれが運ばれてくる。

鱗に覆われた身体、エラ呼吸。
半魚人だ。

軍事利用の可能性を探るよう命を受けた軍人は、拷問や実験を繰り返す。

イライザはこの施設の掃除婦で、軍人や研究者にとっては見えない存在。
その彼女が、ケダモノとして扱われる存在に心を寄せるようになる。

声を持たない者同士、交流が生まれ、やがて。

その愛しい人が解剖されると知り、守る以外の選択肢はない。
国を敵にまわし、二人は果たして。

イライザに助太刀する同僚、隣人はそれぞれに社会の少数者だ。
彼女自身も、愛する人もそう。

真実を射抜くのがおとぎ話だが、この物語は、異物を排除する現在のアメリカを社会を非難する。

一方、彼らを侮辱し制圧する軍人は、どんどんバケモノじみていく。真に醜いのは誰か、何か。

監督が子どもの頃に夢中になった、半魚人の映画が出発点のこの映画には、クラシックな映画への愛情がたっぷり込められている。
イライザの部屋は映画館の屋根裏で、彼女と隣人はミュージカルの大ファン。

美しいことはスクリーンの中だけでしか起こらない、と思いさだめていたのに。
この醜い現実にも愛は生まれるのだ。

優しき隣人はイラストレーターで、 サリーは『バディントン』シリーズで 移民のクマくんと暮らす一家の母親にして挿絵画家を演じているが、自身の両親も絵本作家だそう。

そして『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』ではカナダの人気画家に。

のちに愛らしい素直な風景画で広く愛されるモードは、リウマチを病む不自由な身体で、家族の半端者として苦しんでいた。
自活しようと、住み込みの家政婦に。

いやいや彼女を受け入れたのは、魚売りの孤独な男。
人と接することが難儀な二人が、すこしずつ近づいて。

奇妙な同居生活のうちに、モードは絵を描く自由と喜びを広げていく。
その傍らにはいつも、 仏頂面の彼がいて。

縮こまる身体を強い魂ではね返すモードを体現するサリーも、ともに暮らすことで身のうちにあたたかいものを育てていく夫を演じるイーサン・ホークもいい。

脳内に自分の世界を豊かにもつ人。
きらきらと現実を勝ち抜いてはいけないし苦しむが、その豊かさを守るためなら強くなれる。

サリーが演じるのはそんな主役だ。


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# by hiromi_machiyama | 2018-04-29 20:51 | Trackback
信濃毎日新聞「怪しいテレビ欄」2018/2/21
「普段スクープされる側の芸能人が個人の見解を話しに集まるワイドショー番組です」とただし書きが提示される、フジテレビの「ワイド ナショー」。

国際政治学者の肩書で出演した三浦瑠麗の発言が、取りざたされています。

東野幸治と山崎タ貴アナが進行し、松本人志がコメンテーターとして番組の中心に構えるこの番組。

くだんの放送 は、松本が「瑠麗さんって酒飲んだらめっちゃエロくなるって」と言い出し、嬉(うれ) しそうに笑って「自分でもよくわからない」と三浦に転がされた松本が「エロっ!」。

山崎アナが「喜びすぎですよ」とあきれる展開で始まりました。

その後、冒頭のただし書きがあって、本編へ。

平昌オリンピックについてまずVTRで、関本式前日に軍事パレードを行った北朝鮮が選手団を派遣、日韓首脳会談も行われ、オリンピックが外交の舞台になっているという問題提起がありました。

そのVTRを受けて東野に「どうですか」とふられた三浦は、軍事力を見せつけつつ、女性応援団などで融和を演出する 北朝鮮の梶棒(こんぼう)外交」がまんまと成功しているという解説を披露。

すると隣の長嶋一茂が、韓国の人から実際に話を聞いたところでは、脅しに屈してもいないし融和ムードにのせられてもいない、「まったく疑わしい」と三浦解説を覆しました。

笑顔をキープしていた三浦に再び東野が水を向けると、「実際に戦争が始まったら」と話を展開させ、「テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと一言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ」「テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今 けっこう大阪やばいって言われていて」「潜んでます」。

この一連の発言に、在日コリアンへの憎悪を煽(あお)りかねないと批判が起きています。

これを受けてのブログや取材での三浦の発言も、批判を一層強めることに。

なぜフジテレビはこの発言を放送したのでしょうか。

「言われていて」などと不用意に広められた、根拠の不明瞭なうわさ話が、民族憎悪の惨劇を扇動した例は、歴史上繰り返されています。

さらに日本と在日コリアンの歴史と現状についても鑑みれば、この発言が放送されるべきではないのに、なぜそうならなかったのか。

バラエティーだし、ただし書きがあるし、オープニングのやりとりが示すように三浦もタレント的な存在だから問題ないと考えたのか。

そもそも歴史をご存じないのか。

そしてなにより、最近の在日コリアンへの冷たい世情をまったく感じていないのか。

答えが知りたい。


          


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# by hiromi_machiyama | 2018-04-29 20:28 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画レビュー『ラブレス』『ラッキー』
『In Red』2018年4月号掲載



生きることはほしいこと でも本当にそうかしら?


 
社会にとって価値があるかないか。

そういう基準を提示して虐殺を正当化したのはナチスだが、その考えは様相を変えて受け継がれ、脱工業化を経た現在の消費社会では消費能カの高い人間こそが尊ばれる。
より多くほしがることこそ社会への積極参加であり、貢献であり。

『ラブレス』はそれがどんな冷たい地獄かを記す、警告の書だ。
凄まじい完成度で、あなたたちがいるのはここだと突きつける。

ロシアの郊外の瀟洒なマンション。
一流企業に勤める夫、美容サロンを営む妻。
離婚を決めお互いに新しいパートナーがいる。
妻より若い女、夫より経済力のある男。
これまで以上の幸せを得る気満々だから、今の停滞にはイラつくばかりだ。
11歳の息子を相手に押しつけてしまって、早く次へ進みたい。

そんな時、息子が行方不明になる。
夫婦は彼を探すが、果たして。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の脚本と演出は冷徹この上ない。
息子が消えて悲しい、この夫婦にもそういう感情はあるが、それは誰かに見返りや謝罪を要求する為の道具にすぐに転じる。
なにしろ彼らがひたすら求めるのは他人から羨望される、満たされた「自分」だ。
そういう「自分」を損なう要素は排除したい。
人間的で素直な感情であろうと。
満されたくて悲しみすら持続できないのだ。
ただただほしがって。

社会のシステムもそれを歓迎していることを、怠惰で官僚的な警察を好例に描く一方で、監督が示す唯一の希望は報酬もなく普意で不明者を捜索する人々だ。
一列に並び、声を掛け合い、冷たい森を進む彼らの姿は、大きなカに抗う神話の中の闘士の荘巌さ。
凍えた胸が震えた。

もはや他に手はないのだろうか。
『ラッキー』には別の答えがある。

昨年9月に91歳で亡くなった俳優ハリー・ディーン・スタントンの人生を取材し、ご本人が主演した。
演じるのは、荒野の小さな町の小さな家に独居する男、ラッキー。

いわく「孤独と一人暮らしは意味が違う」。
毎朝目覚めるとタバコを1服し、ヨガの5ポーズを21回ずつ、またタバコを吸い、コーヒーを飲み、近所のダイナーで軽口を言い合い、クイズ番組を見て夜はまた行きつけのバーへ。
その繰り返し。

そこにすっと、繰り返しが終わる予感が忍び込む。
そして、軌道がすこしだけ変わる。

それだけの話なのに深く静かな場所へ連れて行ってくれるこの映画で、達者な演技を披露するデヴィッド・リンチをはじめ、クセの強い監督たちが重要な脇役を任せてきたのが、俳優スタントン。

幼い頃の、そして従軍中の沖縄での体験など、彼が話していたことを散りばめた脚本は、長く近くにいたアシスタントたちがまとめたもので、監督は脇役俳優の後輩ジョン・キャロル・リンチ。

映画の中で出会ってほしいから引用するのがもったいない哲学的な至言の数々がつぶやかれるが、決してラッキーは達観しているわけではない。
死を恐れ、同性愛者を嫌ったり女性を傷つけた昔とも向き合う。

克服できない過去、癒しがたい悲しみ。
それらを抱えてラッキーは立っている。

敬愛に満ちたこの映画で彼が大好きなマリアッチを従えて歌うラブソングの美しさ。
「降伏する準備はできている」、愛とはそういうものだろうし、勝ってほしがるだけの人生に価値はあるのか。

真実には実体があるが、それさえやがて消える。
永遠はなく、手元には何も残らない。
そう承知で、他人に「好きにすりゃいい」と言えて無の暗い深淵に微笑みを返せる人。

できることなら、かくありたい。






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# by hiromi_machiyama | 2018-04-14 21:56 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
23                  
                 「スチャダラパー余談5」掲載

6月頃、スチャダラパー23周年の野音ライブで物販された読み物「余談5」に書いた原稿。
どういうわけか、2013年に一番ひとからホメられた原稿になったので、年越にアップしてみました。
まあ、最近は映画レヴューしか書いていないから、こういうネタが珍しくていろいろ言ってもらえただけなんだろうとは思いつつ。

23周年なのでお題は「23」、それを語呂合わせで読みました。
発注してくれたのがシンコさんで、シンコさんも弟なので。




     『23』



 ある昼下がり、23が起きてこないことに気づいた。休日の昼には、食卓についたところで、私と母親が食べる上空でモデルガンをぶっぱなすようなことも何度かあったから、静かでいいと思ったが、それにしても静かすぎる。

 仕方なく起しに行って、布団ごしに押してみると、様子がおかしい。奇妙な感触。甲殻のように固い背中にぎょっとして、布団をめくってみると、そこには巨大な虫がわぎわぎしていた。たくさんの足がしょんぼりと光る。

 23は虫になったのだと、すぐに合点した。やたらめったら本を読む23には読書量が少ないとバカにされる私だが、カフカの『変身』ぐらいは読んでいる。

 やった、と思った。高校受験を前にした23に、母親はすっかり手をやき、「3年後にまたこんなことがあるなんて絶対に私もお2ちゃんも耐えられない。だから絶対に付属高にいってほしい。そうすると広美ちゃんは公立しかいけないけど、大丈夫よね」と決めつけられていたからだ。まだ中1なのに「ああ、自分でなんとかするから」と応じてしまっていたが、授業料の高い私立の付属高に進む虫は、いない。

 納得がいかないのは、なぜ23が虫になったのかだ。

 『変身』では、家族の面倒を懸命に見ていたつもりの主人公グレゴールが虫になってしまうと、彼に頼っていたはずの借金まみれの両親や妹が、自分たちで生きる手だてや希望を見つける。グレゴールの営為は無用だったという皮肉。

 だとしたら、この昼から数十年後、母親が男がらみの事業の失敗でつくった額面25億の借金を陣頭指揮をとって処分整理、その後の母親の介護も勇んで一手に引き受ける私のほうがずっと、グレゴールにふさわしい。自己陶酔じみた英雄願望で家族のヒーローを買って出る虫は、私だ。

 でも目の前で虫になっているのは、23だった。

 アレに似ていると思った。小学生の頃、よく漫画を描いていた23をまねて、私も一作だけ描いたことがある。『ゴキブリゴキコちゃん』。どんな話だったが忘れたが、とにかく絵がへたくそなので話の進みようがなかった。

 そんな私と違って、23は絵が上手だった。図画工作の宿題を助けてもらったことも何度かあった。こんなアイデアで描いてみたらどうか。描けない人間には、まずそのアイデアが浮かばないのだ。転校していく同級生の送別会の飾り付けに、怪獣の絵をたくさん描いてもらったこともあった。宇田川くんはとても喜んでくれた。

 そんなことを思い出したから、わぎわぎともどかしそうにしている虫の胴体をおこしてやろうと思ったが、難しい。胴体の下に腕を差し入れると、けもののような声で何か言っているが、聞き取れない。

 「『2001年宇宙の旅』で、HALはどうして異常な行動をとるようになるのか?」、そんなことを急に聞かれたのかもしれなかった。78年の6月、23がその質問をさあどうだと差し向けた頃、私たちは毎週FM東京で放送されていた『2001年宇宙の旅』のラジオドラマを聞いていた。23は原作をすでに読んでいたはずだが私は未読で、テアトル東京での再上映はその秋のことだ。「船長を好きになっちゃったから?」、バカげた答えだったから、ものすごくバカにされた。そのラジオドラマでHAL9000を色っぽいタメグチで演じていたのは田島令子で、『バイオニック・ジェミー』のジェミーがボーマン船長に恋をして発狂したのだと、私は思ってしまったのだ。

 よく一緒にラジオを聞いていた。淀川長治先生や小森和子おばちゃまの映画の番組とか。網膜剥離の手術で入院した30歳の時、耳の娯楽しか享受できない私に23が持ってきた見舞いは、淀長さんの映画解説CDだった。

 いつのまにか、虫はベッドから落ち、部屋を這いはじめた。母親にこの姿を見せてはいけない。夫と正式に離縁したばかりの彼女にとって、23は今やますます王子様なのだから。

 なにをどうしたのか、わからない。

 それから数十年の時間が飛び去り、気がついた時には、23は「アメリカ在住の映画評論家」を名乗っていた。死期が近い母親が病院のベッドで、23が電話出演するラジオ番組をうれしそうに聞いていた。なにかの新作映画の解説で『未来惑星ザルドス』に急に話がとび、ラジオを聞いている人の何人がピンとくるのかと私はあきれたが、洋画劇場で放送されたのを家族で観たことは覚えている。

 『変身』の最後で、グレゴールを残して家族は電車に乗る。目的の停留場に着いて立ち上がった娘の若々しい背中に、両親は希望を見る。

 私が思い出すのは、家のすぐ近くのバス停で過ごした時間だ。小学生の頃、私は母親とケンカして家を飛び出した。何度も。そして毎回、大きなガラス屋の前にあるバス停のベンチに座る。夜のことだ。バスが来ないのはわかっている。でも、もうここには居たくないのだ。店前に並べられた大きなガラスが倒れてきそうで、怖い。暗い。でもどこかに行ってしまいたい。そこへ23が迎えにくる。何を話したのか。とにかく私は立ち上がって、家に向かった。私の背中を見ている者はいなかった。一度や二度じゃなく。
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# by hiromi_machiyama | 2013-12-31 23:44 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
ソラミミスト:エピソードゼロ
ド久々の更新です。
5月に東京、先週までは大阪で催されていた
「安斎肇還暦博覧会 anzai expo 60」。
そこで展示された、私とソラミミストとのなれそめを振り返っての原稿を、以下に。


      「ソラミミスト:エピソードゼロ」


尻はそろそろいいか。

90年から『タモリ倶楽部』の構成に就いた私は、92年にはその宿題に悩んでいた。

やはり90年に、踊る潜在意識こと麿赤児がお悩みをダンスで癒す『瞑想アワー』とともにたちあげた、女の尻を芸術として品評する『今週の五ツ星り』というコーナーを、尻つぼみにならないうちに閉じたい。

『瞑想アワー』は『瞑想刑事』に衣替え、麿刑事とタモリ刑事が犯人を追いつめた肝心なところで瞑想をはじめてしまう‥そんなバカドラマの台本を書くのは楽しかったが、まあ要するに迷走していた。

新コーナーが必要だ。

今度は、映像とBGMのミスマッチを面白がろう。

アイデアは、『タモリ倶楽部』の演出を指揮する、製作会社ハウフルスの菅原社長のものだった。

どんな企画に煮詰めるか、まとまらないうちに、4月放送分の収録が近づく。

『あなたにも音楽を』なるタイトルのもと、いくつかの方向性を試すことになり、そのネタのひとつにアース・ウィンド・アンド・ファイヤーの『ゲッタウェイ』のサビのコーラスが「青森県」に聞こえる、というのがあった。

洋楽の歌詞がへんな日本語に聞こえるなんてラジオでは定番で、『タモリのオールナイトニッポン』でもやっていたと記憶するが、映像が加わることでもっと面白くなるんじゃないか。

てなところは実は、やりはじめてからよくわかるのだが。

企画を試すにあたり、タモリさんに対してネタをぶつける役割を誰がやるか。

なにしろまだ方向が定まらず自信がないから、必要なのは叱られ役だった。

叱られるのが似合う、自分でネタを紹介しておいてタモリさんに「なんだ、これ」と言われたら「ですよね」と調子良くのっかって悪びれない、そんな人材はいないか。

そして隔週で、時間も場所もバラバラな「流浪の番組」の収録につきあえる、奇特な大人はいないか。

『五ツ星り』スタート時、知り合いのなかから山田五郎を見繕った私に、期待がかかった。

そんなダメな大人、安斎肇しか思い浮かばない。

けれども、固辞しやがる。

収録日が来てしまい、私が出演を押し付けられた。

仕方なくやったが、次の収録までに安斎肇をひっぱりださなくては。

当時の私はアトピーの症状がひどく、しばしの休業を希望していたので、なんとしても人に押し付けたかった。

どう説得したかは覚えていない。

泣きついたのか脅したのか騙したのか。

あれからもう20年。

コーナーは『空耳アワー』として、安斎肇はソラミミストとして、なんだか当たり前のように存在している。

そして案の定、安斎肇はタモリさんに叱られている。ネタではなく遅刻で、だが。
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# by hiromi_machiyama | 2013-09-16 17:46 | 日記 | Trackback
川勝さんのこと、など
川勝正幸さんの存在を認識したのは、87年の春から放送されていた日本テレビの深夜番組『ニッポンテレビ大学』だと思うが、あまり自信がない。
その頃私は放送作家になりたてで、それでも夜遊びをしたいもんだから、少しの睡眠時間で起きられるように、薬局で嘘をついて購入した利尿剤を飲んで尿意を目覚まし代わりにする(ついでに酒も抜けるだろうと考えた)というむちゃくちゃな生活をしていて、記憶がまるで曖昧なのだ。
とにかく、川勝さんがその番組の構成作家で、時々わけのわからない役割で出演していたことは確かで、おもしろそうな仕事をうらやましく見ていた。

そして、初めて会ったのがいつだったかも、よく思い出せない。

2月11日に青山葬儀所で開かれた、川勝さんのお別れ会に、私は場違いなGジャンを着ていった。
背中にはマジックで書かれた、デニス・ホッパーのサイン。その下にハートも描いてくれたのが自慢だ。川勝さんのおかげでもらえた宝物だから、失礼を承知でそのGジャンを着て、会に参加した。川勝さん、ありがとう。

サインをもらったのは、89年の秋、川勝さんたちホッパー招聘委員会が初来日を実現させた際のウェルカムパーティーだった。
この時に、ホッパーが連れていた美人新妻が翌年に生んだ息子が、先頃公開されたガス・ヴァン・サント監督の『永遠の僕たち』に主演したヘンリー・ホッパーなのだから、人ひとりがすっかり大人になるほど昔の話である。
このサインをもらうしばらく前に何回か会っていたことは、間違いないわけだ。

すでに川勝さんは私の兄を知っていて、仕事もしていたから、「広美さん」と呼ばれてしまい、そのことにちょっと落ちつかない気持ちだったのは覚えている。
下の名前で呼ばれやすい女とそうでない女がいるが、私は圧倒的に後者で、例外はとても少ないのだ。

「お兄さんのことを知っているから、なにか妹のような感じがしてしまう」とも川勝さんは言っていたが、その言い分に反して下ネタ、ビロウトークが多かった。
「お兄さんは最近こんなセックスをしたらしいですよ」とニヤニヤ。他にもみうらじゅんさんとか、兄のセックスを私に報告してくる人はいたのだが、川勝さんは低く深い声でゆっくり言うもんだから、ことさら記憶に残っている。

兄、元夫、山ほど共通の知り合いがいるから、この20年あまりの間にいろいろなところで会った。
03年、ジョアン・ジルベルトの初来日が実現した初日、開演時間をたっぷり過ぎた頃にロビーで「ただ今、ジョアン・ジルベルトは会場に『向かっております』」という絶妙の場内アナウンスを聞いて大いに喜んだ時も、川勝さんが一緒だったと思う。
当然ながら、試写会でも何度となく会ったが、そんなに話もしなかった。
何年も会わないままだった時期もある。

特にここ10数年は、川勝さんの仕事ぶりをあまりちゃんと見ていなかった。
まわりがいろいろ変わっていくなかで、スタンスが変わらないとは感じていた。

年を重ねてくると、「好きなものを好きでいられること」の難しさがわかる。「もう、ああいいうのはいいや」と言ってしまうほうが楽になれる。乗れないのではなく、降りたのだと、自分を慰めればいい。
でも、川勝さんは、好きを続けていた。

素晴らしい目利きだったが、小説や映画など、狭義の意味での「作品」を発表することはなかった。
これは少し失礼な物言いになってしまうかもしれないが、そのことにどんな思いでいたのか、「作品」をつくれずにいる私は、いつか聞いてみようと思っていた。
ホッパーにしろ、デヴイット・リンチにしろ、ジョン・カサヴェテスにしろ、ゲンズブールにしろ、勝新にしろ、川勝さんがことさら愛したのは、俺濃度が
極めて濃い作り手たちだ。
そして周囲にも、作品をつくる人がたくさんいる。ずっとその中にいて、締切をやり過ごしながら、どんな思いでいるんだろう。

そんな時間が長くあって、誰かのツイートをきっかけに「現世で『御用牙』のオープニングよろしく精進せねば!」とつぶやく川勝さんに話しかけたのは、検索してみたら一昨年の6月のこと。
剥けちゃいけない皮が剥けることを心配してみせたら、「『御用牙』のくだり、見栄であります」という返事、またしてもビロウトークである。

そして11月、『INVITATION from SPIKE JONZE』の試写で偶然会った。私が結婚している間は「町山さん」だった呼び名がまた、「広美さん」に戻っていた。妙に律儀な人である。

少し呑んだり食べたりしませんか、ということになったのは、宣伝のミラクルヴォイスの、伊藤社長はじめ女性3人が一緒だったからだと思う。渋谷なので、川勝さん行きつけのミリバールへ。
短く終る約束だったが、その夜はとても盛り上がった。とにかく川勝さんがよくしゃべった。私と川勝さんがしゃべるのを、トークショーよろしく、他の3人に聞いていただくようなかたちになっていたと思う。

Twitterで声をかけたときも、「以前、ナンシーさんや町山さんから顰蹙をかっていた”恋愛体質”はすっかりなりをひそめ」と書いてきた川勝さんは、その話をしたかったらしい。
「ナンシーさんから最後に言われた言葉が『川勝さん、そんなに若い女が好きか』で‥‥でも、あれは違うんですよ!」。
どう違うのかは、私がここで勝手に書くわけにはいかないが、自分の話はあまりしない人と思われているし、私もずっとそう思ってきた川勝さんが、その夜は恋愛について赤裸々に話した。
もちろんビロウトークにも発展し、「そんな話、私が聞いちゃっていいんですか」と言うと、「年のせいか、歯止めが利かなくて」。



楽しい夜だった。また近々に絶対呑みましょう、と約束して別れた。

しかしその機会もなく、12月の末に、『コーマン帝国』の試写で一緒になったのが最後だった。
一緒になったと言っても、上映中にあの笑い声が聞こえてきて、「あ、川勝さんやっぱ来てるか。笑い声うっさいよ」と思い、でも次の仕事に急いでいたから現場で声はかけず、Twitterでそれを伝えた。
「本当は、銀座でココロゆくまで、 @mcym163 さんとコーマン話に花を咲かせたかったです。」という返事。ビロウトークで終ったのは、くだらなくて、ちょっとうれしい。

とても長く知っているのに、実は、仕事をほとんど一度もしたことがない。『タモリ倶楽部』に川勝さんが出演した時に、台本を書いたことがあるくらいだ。

しかし渋谷で話した夜、川勝さんは私に、本の企画を2冊提案してくれた。
1冊は、そういう話は他にないわけではなかったが、それを提案すると私が不機嫌になるので、最近はほとんど言われなくなった企画。
「広美さんがどうしていやがるかもよくわかってるつもりですが、だからこそ広美さんが書くのがいいんですよ」と川勝さんは言った。
もう1冊はとても意外な、企画。そんな風に私を見ていたのかと、驚いた。
私がどちらも書ける気がしない、つきあってくれる編集者のアテもないと答えたら、「じゃあ誰もいなかったら、僕が編集やりますよ。僕はいろいろやりますけど、やっぱり編集者だから」。

川勝さんがいなくなったことで、何人もの男の人が泣くのを見た。仕事の思い出を話すのを聞いた。
一緒に仕事をする機会がなくなってしまって、とても悔しいです。
ビロウトークの長い長い前フリだけで終っちゃうなんて、遅◯って言っちゃいますよ、川勝さん!
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# by hiromi_machiyama | 2012-02-27 00:40 | 日記
松田洋子さんとトークイベント またやってみる
半年以上たっての更新ですが、また宣伝です!

松田洋子さんとの雑談を人前で、の2回め。
昨年の10月17日で懲りてなかったみたいです、わたしたち。


町山広美&松田洋子 公開イドバタ会議Vol.2

日時:2011年6月5日(日)15:30 open / 16:00 start
料金:1,500円(1ドリンク付)
会場:SNAC

くわしくはこちらで。
予約を受け付けております。

今回も、
孫の学芸会を見るくらいのハードル設定でお願いします。

私個人の課題としては、聞き役にまわってラクしない!
てなことで、よろしくお願いします。
来て下さい!!
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# by hiromi_machiyama | 2011-06-01 00:09 | 日記 | Trackback
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放送作家・町山広美の日記
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