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映画レビュー『ラブレス』『ラッキー』
『In Red』2018年4月号掲載



生きることはほしいこと でも本当にそうかしら?


 
社会にとって価値があるかないか。

そういう基準を提示して虐殺を正当化したのはナチスだが、その考えは様相を変えて受け継がれ、脱工業化を経た現在の消費社会では消費能カの高い人間こそが尊ばれる。
より多くほしがることこそ社会への積極参加であり、貢献であり。

『ラブレス』はそれがどんな冷たい地獄かを記す、警告の書だ。
凄まじい完成度で、あなたたちがいるのはここだと突きつける。

ロシアの郊外の瀟洒なマンション。
一流企業に勤める夫、美容サロンを営む妻。
離婚を決めお互いに新しいパートナーがいる。
妻より若い女、夫より経済力のある男。
これまで以上の幸せを得る気満々だから、今の停滞にはイラつくばかりだ。
11歳の息子を相手に押しつけてしまって、早く次へ進みたい。

そんな時、息子が行方不明になる。
夫婦は彼を探すが、果たして。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の脚本と演出は冷徹この上ない。
息子が消えて悲しい、この夫婦にもそういう感情はあるが、それは誰かに見返りや謝罪を要求する為の道具にすぐに転じる。
なにしろ彼らがひたすら求めるのは他人から羨望される、満たされた「自分」だ。
そういう「自分」を損なう要素は排除したい。
人間的で素直な感情であろうと。
満されたくて悲しみすら持続できないのだ。
ただただほしがって。

社会のシステムもそれを歓迎していることを、怠惰で官僚的な警察を好例に描く一方で、監督が示す唯一の希望は報酬もなく普意で不明者を捜索する人々だ。
一列に並び、声を掛け合い、冷たい森を進む彼らの姿は、大きなカに抗う神話の中の闘士の荘巌さ。
凍えた胸が震えた。

もはや他に手はないのだろうか。
『ラッキー』には別の答えがある。

昨年9月に91歳で亡くなった俳優ハリー・ディーン・スタントンの人生を取材し、ご本人が主演した。
演じるのは、荒野の小さな町の小さな家に独居する男、ラッキー。

いわく「孤独と一人暮らしは意味が違う」。
毎朝目覚めるとタバコを1服し、ヨガの5ポーズを21回ずつ、またタバコを吸い、コーヒーを飲み、近所のダイナーで軽口を言い合い、クイズ番組を見て夜はまた行きつけのバーへ。
その繰り返し。

そこにすっと、繰り返しが終わる予感が忍び込む。
そして、軌道がすこしだけ変わる。

それだけの話なのに深く静かな場所へ連れて行ってくれるこの映画で、達者な演技を披露するデヴィッド・リンチをはじめ、クセの強い監督たちが重要な脇役を任せてきたのが、俳優スタントン。

幼い頃の、そして従軍中の沖縄での体験など、彼が話していたことを散りばめた脚本は、長く近くにいたアシスタントたちがまとめたもので、監督は脇役俳優の後輩ジョン・キャロル・リンチ。

映画の中で出会ってほしいから引用するのがもったいない哲学的な至言の数々がつぶやかれるが、決してラッキーは達観しているわけではない。
死を恐れ、同性愛者を嫌ったり女性を傷つけた昔とも向き合う。

克服できない過去、癒しがたい悲しみ。
それらを抱えてラッキーは立っている。

敬愛に満ちたこの映画で彼が大好きなマリアッチを従えて歌うラブソングの美しさ。
「降伏する準備はできている」、愛とはそういうものだろうし、勝ってほしがるだけの人生に価値はあるのか。

真実には実体があるが、それさえやがて消える。
永遠はなく、手元には何も残らない。
そう承知で、他人に「好きにすりゃいい」と言えて無の暗い深淵に微笑みを返せる人。

できることなら、かくありたい。






by hiromi_machiyama | 2018-04-14 21:56 | 雑誌原稿アーカイヴ
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