『In Red』2018年3月号掲載
輝かないで輝く主役 サリー・ホーキンス
女がヒーローとして輝く映画が増えてきた。
けれど、正義についての葛藤もなく真正面にヒーローを描きづらい現状にあって、女という意外性が便利に使われているだけだとも。
映画は、ヒーローになれない、はずれ者の男もその存在をかっこよく刻める場なのだから、きらきら輝かない女についてもそうであるべき。
そこで、サリー・ホーキンスだ。
造作だけをとれば貧相な、76年生まれの彼女を主役にと、監督が強く望んだ2作が相次いで公開される。
「冷笑的な考え方への解毒剤としてつくった」と監督ギレルモ・デル・トロが語る『シェイプ・オブ・ウォーター』は、人魚姫の物語を新しい器にそそいだ、とても美しい映画だ。
そのかたちを一生、心に刻む人も多いだろう。
サリー演じるイライザは、掃除のおばさん。
子どもの頃、首を傷つけられ声を失ったらしい。
人魚姫は人間の男に恋をして声を手放すが、この映画ではすでに声を奪われた人間の女が、魚のような奇怪な生き物に出会う。
おとぎ話を信じられなくなった時代に語り直される、転倒されたおとぎ話だ。
62年、冷戦のさなかのアメリカ。
国が密かに運営する研究施設に、アマゾンで捕獲されたそれが運ばれてくる。
鱗に覆われた身体、エラ呼吸。
半魚人だ。
軍事利用の可能性を探るよう命を受けた軍人は、拷問や実験を繰り返す。
イライザはこの施設の掃除婦で、軍人や研究者にとっては見えない存在。
その彼女が、ケダモノとして扱われる存在に心を寄せるようになる。
声を持たない者同士、交流が生まれ、やがて。
その愛しい人が解剖されると知り、守る以外の選択肢はない。
国を敵にまわし、二人は果たして。
イライザに助太刀する同僚、隣人はそれぞれに社会の少数者だ。
彼女自身も、愛する人もそう。
真実を射抜くのがおとぎ話だが、この物語は、異物を排除する現在のアメリカを社会を非難する。
一方、彼らを侮辱し制圧する軍人は、どんどんバケモノじみていく。真に醜いのは誰か、何か。
監督が子どもの頃に夢中になった、半魚人の映画が出発点のこの映画には、クラシックな映画への愛情がたっぷり込められている。
イライザの部屋は映画館の屋根裏で、彼女と隣人はミュージカルの大ファン。
美しいことはスクリーンの中だけでしか起こらない、と思いさだめていたのに。
この醜い現実にも愛は生まれるのだ。
優しき隣人はイラストレーターで、 サリーは『バディントン』シリーズで 移民のクマくんと暮らす一家の母親にして挿絵画家を演じているが、自身の両親も絵本作家だそう。
そして『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』ではカナダの人気画家に。
のちに愛らしい素直な風景画で広く愛されるモードは、リウマチを病む不自由な身体で、家族の半端者として苦しんでいた。
自活しようと、住み込みの家政婦に。
いやいや彼女を受け入れたのは、魚売りの孤独な男。
人と接することが難儀な二人が、すこしずつ近づいて。
奇妙な同居生活のうちに、モードは絵を描く自由と喜びを広げていく。
その傍らにはいつも、 仏頂面の彼がいて。
縮こまる身体を強い魂ではね返すモードを体現するサリーも、ともに暮らすことで身のうちにあたたかいものを育てていく夫を演じるイーサン・ホークもいい。
脳内に自分の世界を豊かにもつ人。
きらきらと現実を勝ち抜いてはいけないし苦しむが、その豊かさを守るためなら強くなれる。
サリーが演じるのはそんな主役だ。