カテゴリ:雑誌原稿アーカイヴ( 23 )
『ヘリコプターとふんどし』
        早稲田文学2018年春号
        金井美恵子特集       掲載





「しかし、ヘリコプターは音こそすさまじいけれど、おずおずと、しかし興奮はして、何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ。」

というのは、金井美恵子がテレビだけについて書いた数少ない文章の最後の2行である。

83年10月。
 
田中角栄に東京地方裁判所からロッキード事件において懲役4年追徴金5億円の実刑判決が下るその日の朝、田中邸の上空に集結した報道各社のヘリコプターが撒き散らす騒音は、ご近所に暮らす金井美恵子の眠りを破った。

豪邸の広さを強調することが「テレビ的金権政治の表徴」であるがゆえ、「そこで事件の全てが起きたわけでもないのに、あたかも現場のように上空から撮影され」生中継されたのである。

起こされたその人を、「今さらのように、テレビというものの〈映像〉の芸のなさに驚嘆」させて。

「鉄球とヘリコプター」と題されたこの文章は、同年がテレビ放送30周年にあたるため各所で発表されたアンケートで、最も印象深く記憶されているテレビ番組として浅間山荘事件が上位を占めていたことを参照する。

事件なのに、番組。

72年の浅間山荘事件は確かに、事件の経緯より鉄球が有名だ。

最長の中継時間と最高の視聴率(NHKと民放の合計)を記録したそれはテレビ史に残る現場中継だが、当然ながらカメラは建物の中に入れるはずがなく、たてこもりに至るまでの自撮り映像がネットに転がってるわけもなく、連合赤軍がたてこもる建物の壁に鉄球が打ちつけられそれが壊れていく様が放送時間の少なからずを占めた。

主演、鉄球。

その退屈な時間は「反復的な表徴を産出」し、鉄球と壁の生中継番組が浅間山荘事件と記憶された。

そのならいでテレビは、「大事件であることを強調するために、ヘリコプターを飛ばす」。

あの鉄球のような役は果たせずとも、自分たちのヘリコプターが出す騒音混じりの中継映像は、大事件の緊迫感を増幅させることはできる。

カラだが。






テレビには、実はカラの〈映像〉が多い。

ニュースで昨夜の事件が起きた現場から中継がなされるが、そこでその時間に行われているのは現場検証がせいぜいであって、当然ながら事件ではない。

バラエティは何かが起きるのを楽しみに見てもらうものだが、言いかえれば放送時間の大半は、何かが起きそう、であって、何かが起きてるわけではない。

カラの映像を意味ありげに見せるのは得意で、やり続けていると、カラがカラでなくなると信じられている。

信じればかなう。

そしてテレビは「映像ではなく反復的な表徴を産出」する。

金井美恵子は『反=イメージ論』と題された別の文章でも、職人や芸術家の今まさに作品を作り出している手先よりも眼の、作家については手の、クローズアップを多用することをうんざりと指摘している。

意味がべたべたと貼り付けられたカラの共有に慣れ親しむと、北朝鮮の脅威というカラの号令に、頭を抱えてしゃがみこむことがなんなくできるようにもなる。






それにしても、「何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ」はいとも手短に、テレビを言い尽くしている。

読んだのは2013年発行のエッセイ選集に収められてからだが、書かれた当時の私はきっとこれを読んだところで、自分がこれから働く職場がこんな短い一文に収納できるとは考え至らなかっただろう。

しかもこの最後の2行でヘリコプターの振る舞いが、期待で顔を火照らせて女の寝室に足を踏み入れた男のごとく描写されているのが、撒き散らされる騒音を高笑いではね返すようで楽しい。

むなしく砕ける騒音の粒が白く濁って見える私は、調子に乗りすぎだ。






だがいつも、調子に乗ってしまう。

金井さん(ここまでもっともらしく金井美恵子と書いてきたが、トークショーにいそいそ出かけて編集者に紹介してもらい、姉の久美子さんもいらっしゃる席で食事をしながらお話できたことは今思い出してもただうれしいので、さんづけが落ち着く)が書いた小説や批評、詩、エッセイを読むと、その脳みそにライドする感覚があり、いや金井さんの脳みそにライドできるなんてそれは明らかに間違いなのだがそう思いこみたくもなる走行感を確かに感じて、それは私を調子に乗らせずにおかない。

ライドすると、スピードを得る。

痛快に進む。

景色はとび去り、後方に片付く。

うひょーと奇声をあげたくなる。
 





という説明はいかにもカラなので、つまりこういうことですと私は、表紙に猫がぬうと構える『ながい、ながい、ふんどしのはなし』を差し出し、その表題作を示す。

金井姉妹がそれぞれ殿山泰司に口説かれた事実も明かされる愉快で鋭利な人物スケッチやエッセイの前に立つ、およそ1300字。

83年の秋に書かれたそれは、引き写そうと刃をいれるのが憚られる美しさゆえ、読んでもらう以外の方法はないのだが、幼児の頃の金井姉妹が寝床で父親にねだると、空を見上げたら白い布がながながと落ちてきてそれはふんどしだったというおはなしが繰り返し披露された。

白い布がただ落ちてくるだけで、意味も物語もない。

そして、おねだりから語りを聞いて眠りに落ちるまでは毎回同じような段取りで、形式化されたそれをなぞること全体が楽しいお遊戯だったという。

そしてここでまた私は冒頭と同じく、最後の2行を引き写す無策をさらすが、それに勝る手がないから仕方がない。






「その後で父親はすぐ死んだので、無意味に白くきらめきながら際限もなく落ちて来る布は、その後、わたしが書くようになった「言葉」そのもののように見えるのだ。」






金井さんの文章を読む。

私はながい、ながい、ながあいふんどしにライドする。

うまく乗れなくて、ふんどしの端をつかんでびゅんびゅんと振り回されるばかりで、落ちているのかのぼっているのかも判然としないが、気分がいい。

奇声をあげる。

進め進め、ふんどし。


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by hiromi_machiyama | 2018-07-18 23:15 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画レヴュー『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』         『母という名の女』
               『In Red』2018年7月号掲載



男女を超えてみせた女 女に囚われつづける女
 
女は。
男は。
日本人は。
関西人は。
港区民は。
射手座は。
B型は。
決めつける面白さというのはあるし、失望を慰撫してくれるし、根拠のない希望も時にはほしいし。

でも他人に向けるとなれば、話は別だ。
本人が変えられない属性にはめて決めつければ、容易にそれは差別に堕ちる。
そして、自分自身を枠にはめ歪めてしまうこともある。

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は45年前の史実の映画化。
女子と男子のチャンピオンが戦った。
プロレスじゃなくて、テニスでだ。

きっかけは女子と男子の優勝賞金の格差。
キャリアも人気も十分な29歳のビリー・ジーン・キングは格差に怒り、既存の協会を脱会、仲問と女子テニス協会を発足させる。

男女平等を訴える運動の高まりという時代の追い風を受けつつ、注目と非難を受けて奮闘する彼女に、挑戦状を叩きつけたのは55歳の元チャンピオン、ボビー・リッグス。
男性優位で当たり前でしょ、こっちが強いんだから、とビリー・ジーンを女性たちを挑発。

男女の戦いはどうなるのか。
それぞれが抱える家庭の事情、愛の困難とともに描いていく。

監督は青春映画『ルビー・スパークス』で、男子と女子の願望のすれ違いを描いた、夫婦コンビ。
現在も変革を求め活動を続けるビリー・ジーン・キングの英雄譚におさまりかねない題材を、女性蔑視に囚われた社会は男性にとっても苦しいよねと、笑わせながら浮き掘りにする。

ビリー・ジーンを演じるエマ・ストーンがいい。
強さと迷い。
恋の場面は、ロマンティックで痛みがあって、彼女のこれまでのどの映画のラブシーンより記憶に残る。
メタルフレームのメガネを真似したくなる。

ボビー役はスティーブ・カレル以外に考えられない。
悪態と狂騒の下の、歪みと痛みが愛おしい。
そして、アラン・カミングがこれまたハマり役の、女子テニス協会を盛り上げた実在のデザイナー。
その仕事ぶり、当時のファッションもわくわくする見どころだ。

「強い男、守られる女」という、今も社会を固めている思い込みを、非難するんじゃなく、実態に即してませんよね、幻想に縛られてるとみんながしんどいでしょ、と軽やかに否定する。
フェアで痛快な映画だ。

逆に『母という名の女』は「女」 が暴走するホラーである。

女は、「守られるべき」存在として押さえ込まれなから、母性本能という「守る」能力も同時に期待されている。
この矛盾も厄介だが、そもそも各自が本能を制御することで秩序が保たれているはずの社会で、「本能」を期待されるのも、また矛盾。
 
そして、最近の社会は女に「ずっと若く美しく」も要請する。
恋愛市場で現役としての価値を持つことも、奨励する。
すべては、消費を促すため。

この映画の母、アブリルはそんな社会の期待を全部満たしている。
娘二人を育て、早くも孫を持つことになり、美しく色っぽいヨガのインストラクター。
その彼女が欲望を、さらに追い求めたらどうなるか。

幼子を抱く母。
それが最高に美しい姿だと社会が讃えるなら、それを目指すのが、欲望の果てとなる。

前作『或る終焉』で、「高齢化社会で人間がよく生きる」難しさを物語にして強烈なラストをかましてみせたメキシコ出身のミシェル・フランコ監督。
今回も「女と本能と社会」という厄介な問題を、理屈からスリリングな物語に昇華。不穏がじわじわと侵食、ぞっとする結末が。

男、女、母。
なにかの枠の中におさまるのは、安心。
自分という点に立つとぐらぐらしてこわいけれども、点に立てる人はかっこいい。

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by hiromi_machiyama | 2018-07-15 19:54 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
信濃毎日新聞「怪しいテレビ欄」2018/2/21
「普段スクープされる側の芸能人が個人の見解を話しに集まるワイドショー番組です」とただし書きが提示される、フジテレビの「ワイド ナショー」。

国際政治学者の肩書で出演した三浦瑠麗の発言が、取りざたされています。

東野幸治と山崎タ貴アナが進行し、松本人志がコメンテーターとして番組の中心に構えるこの番組。

くだんの放送 は、松本が「瑠麗さんって酒飲んだらめっちゃエロくなるって」と言い出し、嬉(うれ) しそうに笑って「自分でもよくわからない」と三浦に転がされた松本が「エロっ!」。

山崎アナが「喜びすぎですよ」とあきれる展開で始まりました。

その後、冒頭のただし書きがあって、本編へ。

平昌オリンピックについてまずVTRで、関本式前日に軍事パレードを行った北朝鮮が選手団を派遣、日韓首脳会談も行われ、オリンピックが外交の舞台になっているという問題提起がありました。

そのVTRを受けて東野に「どうですか」とふられた三浦は、軍事力を見せつけつつ、女性応援団などで融和を演出する 北朝鮮の梶棒(こんぼう)外交」がまんまと成功しているという解説を披露。

すると隣の長嶋一茂が、韓国の人から実際に話を聞いたところでは、脅しに屈してもいないし融和ムードにのせられてもいない、「まったく疑わしい」と三浦解説を覆しました。

笑顔をキープしていた三浦に再び東野が水を向けると、「実際に戦争が始まったら」と話を展開させ、「テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと一言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ」「テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今 けっこう大阪やばいって言われていて」「潜んでます」。

この一連の発言に、在日コリアンへの憎悪を煽(あお)りかねないと批判が起きています。

これを受けてのブログや取材での三浦の発言も、批判を一層強めることに。

なぜフジテレビはこの発言を放送したのでしょうか。

「言われていて」などと不用意に広められた、根拠の不明瞭なうわさ話が、民族憎悪の惨劇を扇動した例は、歴史上繰り返されています。

さらに日本と在日コリアンの歴史と現状についても鑑みれば、この発言が放送されるべきではないのに、なぜそうならなかったのか。

バラエティーだし、ただし書きがあるし、オープニングのやりとりが示すように三浦もタレント的な存在だから問題ないと考えたのか。

そもそも歴史をご存じないのか。

そしてなにより、最近の在日コリアンへの冷たい世情をまったく感じていないのか。

答えが知りたい。


          


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by hiromi_machiyama | 2018-04-29 20:28 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画レビュー『ラブレス』『ラッキー』
『In Red』2018年4月号掲載



生きることはほしいこと でも本当にそうかしら?


 
社会にとって価値があるかないか。

そういう基準を提示して虐殺を正当化したのはナチスだが、その考えは様相を変えて受け継がれ、脱工業化を経た現在の消費社会では消費能カの高い人間こそが尊ばれる。
より多くほしがることこそ社会への積極参加であり、貢献であり。

『ラブレス』はそれがどんな冷たい地獄かを記す、警告の書だ。
凄まじい完成度で、あなたたちがいるのはここだと突きつける。

ロシアの郊外の瀟洒なマンション。
一流企業に勤める夫、美容サロンを営む妻。
離婚を決めお互いに新しいパートナーがいる。
妻より若い女、夫より経済力のある男。
これまで以上の幸せを得る気満々だから、今の停滞にはイラつくばかりだ。
11歳の息子を相手に押しつけてしまって、早く次へ進みたい。

そんな時、息子が行方不明になる。
夫婦は彼を探すが、果たして。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の脚本と演出は冷徹この上ない。
息子が消えて悲しい、この夫婦にもそういう感情はあるが、それは誰かに見返りや謝罪を要求する為の道具にすぐに転じる。
なにしろ彼らがひたすら求めるのは他人から羨望される、満たされた「自分」だ。
そういう「自分」を損なう要素は排除したい。
人間的で素直な感情であろうと。
満されたくて悲しみすら持続できないのだ。
ただただほしがって。

社会のシステムもそれを歓迎していることを、怠惰で官僚的な警察を好例に描く一方で、監督が示す唯一の希望は報酬もなく普意で不明者を捜索する人々だ。
一列に並び、声を掛け合い、冷たい森を進む彼らの姿は、大きなカに抗う神話の中の闘士の荘巌さ。
凍えた胸が震えた。

もはや他に手はないのだろうか。
『ラッキー』には別の答えがある。

昨年9月に91歳で亡くなった俳優ハリー・ディーン・スタントンの人生を取材し、ご本人が主演した。
演じるのは、荒野の小さな町の小さな家に独居する男、ラッキー。

いわく「孤独と一人暮らしは意味が違う」。
毎朝目覚めるとタバコを1服し、ヨガの5ポーズを21回ずつ、またタバコを吸い、コーヒーを飲み、近所のダイナーで軽口を言い合い、クイズ番組を見て夜はまた行きつけのバーへ。
その繰り返し。

そこにすっと、繰り返しが終わる予感が忍び込む。
そして、軌道がすこしだけ変わる。

それだけの話なのに深く静かな場所へ連れて行ってくれるこの映画で、達者な演技を披露するデヴィッド・リンチをはじめ、クセの強い監督たちが重要な脇役を任せてきたのが、俳優スタントン。

幼い頃の、そして従軍中の沖縄での体験など、彼が話していたことを散りばめた脚本は、長く近くにいたアシスタントたちがまとめたもので、監督は脇役俳優の後輩ジョン・キャロル・リンチ。

映画の中で出会ってほしいから引用するのがもったいない哲学的な至言の数々がつぶやかれるが、決してラッキーは達観しているわけではない。
死を恐れ、同性愛者を嫌ったり女性を傷つけた昔とも向き合う。

克服できない過去、癒しがたい悲しみ。
それらを抱えてラッキーは立っている。

敬愛に満ちたこの映画で彼が大好きなマリアッチを従えて歌うラブソングの美しさ。
「降伏する準備はできている」、愛とはそういうものだろうし、勝ってほしがるだけの人生に価値はあるのか。

真実には実体があるが、それさえやがて消える。
永遠はなく、手元には何も残らない。
そう承知で、他人に「好きにすりゃいい」と言えて無の暗い深淵に微笑みを返せる人。

できることなら、かくありたい。






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by hiromi_machiyama | 2018-04-14 21:56 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
23                  
                 「スチャダラパー余談5」掲載

6月頃、スチャダラパー23周年の野音ライブで物販された読み物「余談5」に書いた原稿。
どういうわけか、2013年に一番ひとからホメられた原稿になったので、年越にアップしてみました。
まあ、最近は映画レヴューしか書いていないから、こういうネタが珍しくていろいろ言ってもらえただけなんだろうとは思いつつ。

23周年なのでお題は「23」、それを語呂合わせで読みました。
発注してくれたのがシンコさんで、シンコさんも弟なので。




     『23』



 ある昼下がり、23が起きてこないことに気づいた。休日の昼には、食卓についたところで、私と母親が食べる上空でモデルガンをぶっぱなすようなことも何度かあったから、静かでいいと思ったが、それにしても静かすぎる。

 仕方なく起しに行って、布団ごしに押してみると、様子がおかしい。奇妙な感触。甲殻のように固い背中にぎょっとして、布団をめくってみると、そこには巨大な虫がわぎわぎしていた。たくさんの足がしょんぼりと光る。

 23は虫になったのだと、すぐに合点した。やたらめったら本を読む23には読書量が少ないとバカにされる私だが、カフカの『変身』ぐらいは読んでいる。

 やった、と思った。高校受験を前にした23に、母親はすっかり手をやき、「3年後にまたこんなことがあるなんて絶対に私もお2ちゃんも耐えられない。だから絶対に付属高にいってほしい。そうすると広美ちゃんは公立しかいけないけど、大丈夫よね」と決めつけられていたからだ。まだ中1なのに「ああ、自分でなんとかするから」と応じてしまっていたが、授業料の高い私立の付属高に進む虫は、いない。

 納得がいかないのは、なぜ23が虫になったのかだ。

 『変身』では、家族の面倒を懸命に見ていたつもりの主人公グレゴールが虫になってしまうと、彼に頼っていたはずの借金まみれの両親や妹が、自分たちで生きる手だてや希望を見つける。グレゴールの営為は無用だったという皮肉。

 だとしたら、この昼から数十年後、母親が男がらみの事業の失敗でつくった額面25億の借金を陣頭指揮をとって処分整理、その後の母親の介護も勇んで一手に引き受ける私のほうがずっと、グレゴールにふさわしい。自己陶酔じみた英雄願望で家族のヒーローを買って出る虫は、私だ。

 でも目の前で虫になっているのは、23だった。

 アレに似ていると思った。小学生の頃、よく漫画を描いていた23をまねて、私も一作だけ描いたことがある。『ゴキブリゴキコちゃん』。どんな話だったが忘れたが、とにかく絵がへたくそなので話の進みようがなかった。

 そんな私と違って、23は絵が上手だった。図画工作の宿題を助けてもらったことも何度かあった。こんなアイデアで描いてみたらどうか。描けない人間には、まずそのアイデアが浮かばないのだ。転校していく同級生の送別会の飾り付けに、怪獣の絵をたくさん描いてもらったこともあった。宇田川くんはとても喜んでくれた。

 そんなことを思い出したから、わぎわぎともどかしそうにしている虫の胴体をおこしてやろうと思ったが、難しい。胴体の下に腕を差し入れると、けもののような声で何か言っているが、聞き取れない。

 「『2001年宇宙の旅』で、HALはどうして異常な行動をとるようになるのか?」、そんなことを急に聞かれたのかもしれなかった。78年の6月、23がその質問をさあどうだと差し向けた頃、私たちは毎週FM東京で放送されていた『2001年宇宙の旅』のラジオドラマを聞いていた。23は原作をすでに読んでいたはずだが私は未読で、テアトル東京での再上映はその秋のことだ。「船長を好きになっちゃったから?」、バカげた答えだったから、ものすごくバカにされた。そのラジオドラマでHAL9000を色っぽいタメグチで演じていたのは田島令子で、『バイオニック・ジェミー』のジェミーがボーマン船長に恋をして発狂したのだと、私は思ってしまったのだ。

 よく一緒にラジオを聞いていた。淀川長治先生や小森和子おばちゃまの映画の番組とか。網膜剥離の手術で入院した30歳の時、耳の娯楽しか享受できない私に23が持ってきた見舞いは、淀長さんの映画解説CDだった。

 いつのまにか、虫はベッドから落ち、部屋を這いはじめた。母親にこの姿を見せてはいけない。夫と正式に離縁したばかりの彼女にとって、23は今やますます王子様なのだから。

 なにをどうしたのか、わからない。

 それから数十年の時間が飛び去り、気がついた時には、23は「アメリカ在住の映画評論家」を名乗っていた。死期が近い母親が病院のベッドで、23が電話出演するラジオ番組をうれしそうに聞いていた。なにかの新作映画の解説で『未来惑星ザルドス』に急に話がとび、ラジオを聞いている人の何人がピンとくるのかと私はあきれたが、洋画劇場で放送されたのを家族で観たことは覚えている。

 『変身』の最後で、グレゴールを残して家族は電車に乗る。目的の停留場に着いて立ち上がった娘の若々しい背中に、両親は希望を見る。

 私が思い出すのは、家のすぐ近くのバス停で過ごした時間だ。小学生の頃、私は母親とケンカして家を飛び出した。何度も。そして毎回、大きなガラス屋の前にあるバス停のベンチに座る。夜のことだ。バスが来ないのはわかっている。でも、もうここには居たくないのだ。店前に並べられた大きなガラスが倒れてきそうで、怖い。暗い。でもどこかに行ってしまいたい。そこへ23が迎えにくる。何を話したのか。とにかく私は立ち上がって、家に向かった。私の背中を見ている者はいなかった。一度や二度じゃなく。
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by hiromi_machiyama | 2013-12-31 23:44 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
『AERA』06年10月2日号掲載
「安倍首相」の時代と気分
 
  『けんか慣れしていない半べそブルドッグ』(タイトルは編集部)

     以下、本文
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by hiromi_machiyama | 2006-10-04 21:08 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback(7)
「週刊朝日」06年9月22日号掲載原稿
「週刊図書館 あの本」

    『見破られた読書グラフ』(タイトルは編集部)

      以下、本文
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by hiromi_machiyama | 2006-10-03 18:55 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback(2)
映画『華氏911』 
            …「アサ芸エンタメ!」04年?月号掲載

本文はこちら
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by hiromi_machiyama | 2006-08-16 21:06 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画『恋の門』 
            …「アサ芸エンタメ!」04年?月号掲載

本文はこちら
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by hiromi_machiyama | 2006-08-16 21:01 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
映画『血と骨』
            …「アサ芸エンタメ!」04年?月号掲載

本文はこちら
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by hiromi_machiyama | 2006-08-16 20:51 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback(2)
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放送作家・町山広美の日記
by hiromi_machiyama
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