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『ヘリコプターとふんどし』
        早稲田文学2018年春号
        金井美恵子特集       掲載





「しかし、ヘリコプターは音こそすさまじいけれど、おずおずと、しかし興奮はして、何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ。」

というのは、金井美恵子がテレビだけについて書いた数少ない文章の最後の2行である。

83年10月。
 
田中角栄に東京地方裁判所からロッキード事件において懲役4年追徴金5億円の実刑判決が下るその日の朝、田中邸の上空に集結した報道各社のヘリコプターが撒き散らす騒音は、ご近所に暮らす金井美恵子の眠りを破った。

豪邸の広さを強調することが「テレビ的金権政治の表徴」であるがゆえ、「そこで事件の全てが起きたわけでもないのに、あたかも現場のように上空から撮影され」生中継されたのである。

起こされたその人を、「今さらのように、テレビというものの〈映像〉の芸のなさに驚嘆」させて。

「鉄球とヘリコプター」と題されたこの文章は、同年がテレビ放送30周年にあたるため各所で発表されたアンケートで、最も印象深く記憶されているテレビ番組として浅間山荘事件が上位を占めていたことを参照する。

事件なのに、番組。

72年の浅間山荘事件は確かに、事件の経緯より鉄球が有名だ。

最長の中継時間と最高の視聴率(NHKと民放の合計)を記録したそれはテレビ史に残る現場中継だが、当然ながらカメラは建物の中に入れるはずがなく、たてこもりに至るまでの自撮り映像がネットに転がってるわけもなく、連合赤軍がたてこもる建物の壁に鉄球が打ちつけられそれが壊れていく様が放送時間の少なからずを占めた。

主演、鉄球。

その退屈な時間は「反復的な表徴を産出」し、鉄球と壁の生中継番組が浅間山荘事件と記憶された。

そのならいでテレビは、「大事件であることを強調するために、ヘリコプターを飛ばす」。

あの鉄球のような役は果たせずとも、自分たちのヘリコプターが出す騒音混じりの中継映像は、大事件の緊迫感を増幅させることはできる。

カラだが。






テレビには、実はカラの〈映像〉が多い。

ニュースで昨夜の事件が起きた現場から中継がなされるが、そこでその時間に行われているのは現場検証がせいぜいであって、当然ながら事件ではない。

バラエティは何かが起きるのを楽しみに見てもらうものだが、言いかえれば放送時間の大半は、何かが起きそう、であって、何かが起きてるわけではない。

カラの映像を意味ありげに見せるのは得意で、やり続けていると、カラがカラでなくなると信じられている。

信じればかなう。

そしてテレビは「映像ではなく反復的な表徴を産出」する。

金井美恵子は『反=イメージ論』と題された別の文章でも、職人や芸術家の今まさに作品を作り出している手先よりも眼の、作家については手の、クローズアップを多用することをうんざりと指摘している。

意味がべたべたと貼り付けられたカラの共有に慣れ親しむと、北朝鮮の脅威というカラの号令に、頭を抱えてしゃがみこむことがなんなくできるようにもなる。






それにしても、「何の現場でもない抽象的な上空を舞うだけだ」はいとも手短に、テレビを言い尽くしている。

読んだのは2013年発行のエッセイ選集に収められてからだが、書かれた当時の私はきっとこれを読んだところで、自分がこれから働く職場がこんな短い一文に収納できるとは考え至らなかっただろう。

しかもこの最後の2行でヘリコプターの振る舞いが、期待で顔を火照らせて女の寝室に足を踏み入れた男のごとく描写されているのが、撒き散らされる騒音を高笑いではね返すようで楽しい。

むなしく砕ける騒音の粒が白く濁って見える私は、調子に乗りすぎだ。






だがいつも、調子に乗ってしまう。

金井さん(ここまでもっともらしく金井美恵子と書いてきたが、トークショーにいそいそ出かけて編集者に紹介してもらい、姉の久美子さんもいらっしゃる席で食事をしながらお話できたことは今思い出してもただうれしいので、さんづけが落ち着く)が書いた小説や批評、詩、エッセイを読むと、その脳みそにライドする感覚があり、いや金井さんの脳みそにライドできるなんてそれは明らかに間違いなのだがそう思いこみたくもなる走行感を確かに感じて、それは私を調子に乗らせずにおかない。

ライドすると、スピードを得る。

痛快に進む。

景色はとび去り、後方に片付く。

うひょーと奇声をあげたくなる。
 





という説明はいかにもカラなので、つまりこういうことですと私は、表紙に猫がぬうと構える『ながい、ながい、ふんどしのはなし』を差し出し、その表題作を示す。

金井姉妹がそれぞれ殿山泰司に口説かれた事実も明かされる愉快で鋭利な人物スケッチやエッセイの前に立つ、およそ1300字。

83年の秋に書かれたそれは、引き写そうと刃をいれるのが憚られる美しさゆえ、読んでもらう以外の方法はないのだが、幼児の頃の金井姉妹が寝床で父親にねだると、空を見上げたら白い布がながながと落ちてきてそれはふんどしだったというおはなしが繰り返し披露された。

白い布がただ落ちてくるだけで、意味も物語もない。

そして、おねだりから語りを聞いて眠りに落ちるまでは毎回同じような段取りで、形式化されたそれをなぞること全体が楽しいお遊戯だったという。

そしてここでまた私は冒頭と同じく、最後の2行を引き写す無策をさらすが、それに勝る手がないから仕方がない。






「その後で父親はすぐ死んだので、無意味に白くきらめきながら際限もなく落ちて来る布は、その後、わたしが書くようになった「言葉」そのもののように見えるのだ。」






金井さんの文章を読む。

私はながい、ながい、ながあいふんどしにライドする。

うまく乗れなくて、ふんどしの端をつかんでびゅんびゅんと振り回されるばかりで、落ちているのかのぼっているのかも判然としないが、気分がいい。

奇声をあげる。

進め進め、ふんどし。


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by hiromi_machiyama | 2018-07-18 23:15 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
『余談』から



実家がないならつくればいいじゃない
Let them make home




実家がない。

新宿区と千代区の賃貸を五軒移り住んで育ち、四軒めで別の自宅ができた父親がいなくなり、六軒めの江戸川区の公団住宅を出て働き結婚し、そこが実家になったはずだったが、母親が自己破産せざるを得なくなって居られなくなり、その母親も亡くなると、実家はなくなっていた。
めずらしくもないだろう。

独身に戻って三年程前からは、放送作家としての師匠が暮らした部屋を、ご遺族の方から借りませんかと提案され、ありがたくそうさせていただいている。
「ヴィンテージマンションをお探しのお客様がいらっしゃいます」というチラシがよく入っている昭和五十年代生まれの建物で、例のスクランブル交差点にほど近く、仕事にはとても便利な立地だ。

だけど「実家にでも帰って、ちょっとのんびりしてきなさいよ」と言われた時に、行く場所がない。
ブラウン管時代のドラマなら、行きつけの喫茶店のマスターかスナックのママにそう労られて、返事も返さずにタバコの煙を深く吐き出す場面だ。
たいへん困る。
ないと困る。
井上陽水には傘がないし西田敏行にはピアノがないし東京には空がないし、私には実家がない。


ないならつくればいいじゃない。
思いついてからは早かった。
一昨年の秋、那覇市内に四万八千円のアパートを借りた。
毎月は無理だが二ヶ月に一回くらいは帰り、用もなくあたりをうろうろする。
近所で映画を観て、本を読んで、お酒を呑む。少し長く眠る。
実家があればするようなことをして、東京に戻る。

沖縄を選んだのは、東京から遠く、しかし空港から那覇の街が近いとか、イオンに征服されていない地方都市だとか、冬の備えがいらないとか、そんな理由もあるが、以前にも自分のきっかけになった場所だからだ。


大学に入学してもまもなく、ゴールデンウィークに友達と沖縄へ旅行することになった。
旅費は彼女が付き合ってるおじさんが私の分まで出してくれて、ビーチでハッピーでアメリカンな沖縄に行ける。
やったじゃん。
バブル景気のさなか で、愛人契約が流行の遊びで、私と友達の眉は太かった。

おじさんは節約と下心の一石二鳥で、ダブルの部屋をひとつしかとっていなかった。
ダブルベットの端っこで、逆の端っこのおじさんの気配を頭の中で消し、隣りの友達のいつも と違う声に耳をくすぐられながら眠ろうとする。
笑い出す前に寝なくちゃ。
 
天気はとてもよく、沖縄のその時期の日差しの強さを知らない私は対策を怠り、目や肌をひどく腫らして無様な格好だったが、目新しいことばかりでとにかく楽しい。
おじさんを東京へ放り出してからはなお楽しい気持ちになり、友達と国際通りの店をあれこれのぞくうちに、宮古島出身の兄弟が古着のジーパンを売る店に落ち着いた。
なにを話したわけでもないが居心地がよく、他の店を回ってまたその店に戻ると、兄弟の仲間が溜まっていて、バイクで日本一周中だけど沖縄から出られなくなったとか言っている。
 
東京に帰らなくちゃいけない理由なんてあったっけ、と気づいてしまった。
自己啓発本には出てこない、ためにならないほうの「気づき」である。
友達は気づきもなく帰り、私には泊まるところもお金もない。
店に遊びに来ていた東北出身の琉球大の学生が、部屋に泊めてくれることになった。
タオルケットー枚借してもらえれば、十分。
昼は国際通りの店に遊びにいき、そのまま三、四日。
やっと母親に連絡したら、捜索願いを出そうか悩んでいたんだと泣きそうな声で言われ、あわてて東京に戻った。

もうそれから大学には行かず、仕事を探し、数ヶ月後には制作会社のADとして雇ってもらい、その後放送作家になった。
入学したら体育の授業があって並んで走らされ、「大学って学校なんだ」と驚いたし、サークルの新入生歓迎会に参加して同じ酒の席ならそれまでに経験した水商売のバイトのほうが自分には快適だとも感じていたから、大学をやめるのは時間の問題だったが、履修登録もせずに行かなくなるとは。


沖縄は、軌道を外れた、きっかけの場だった。
保証人になってくれる県民がいないと部屋を借りることは難しいのだが、かつての同僚がUターンしていて、即決で請け負ってくれた。
二十年近く会っていなかったのに、今とは比べようもない程ひどい労働条件のもと、テレビの制作現場で一緒に働いた時間の濃さがありがたい。
 
実家をつくった効果は、小さくなかった。実家もグラビア写真に映った乳首も政権の関与も、あるとないとじゃ全然違う。
つくってみてわかったことだが、自分から仕事を省いた、残りの自分がわからなくて不安だったのだ。
例えば、スピードがわからない。
テレビ業界のそれに馴れ過ぎた。
でも、実家をつくったら、自分の中に沖縄の実家のスピードができた。
安心した。


初めての沖縄でも、私は安心したのだろう。
大学はやめたいが、不安だった。
でも、知らない場所でも楽しくやれる、自分は大丈夫かもしれない、どうにでもなれと思えた。

おじさんを使って私を連れて行ってくれた大事な友達は、その二年後に結婚し、その三年後に酔って階段から落ちて亡くなってしまった。
中島らもじゃあるまいし、まだ二十四歳だった。死んだということがよくわからなくて通夜でもやたらと腹がたつだけで、数日後に『スイート・スイート・ビレッジ』というチェコ映画でおっさんがタ食用のウサギを吊るして腹を割くのを観ていたらやっと、友達が死んだんだとわかって、ぼうぼう泣いた。


実家をつくって一年になるすこし前、去年の夏の終わりのこと。
なにしろ実家だからご近所をまわるばかりで過ごしてきたし、土地勘がつき自分にとって街が近くなってくるのが楽しかったが、そろそろすこし遠出もしてみようという気になった。
免許を持ってないから、移動するなら車より船がいい。
作家とナレーターを兼任している『幸せ!ボンビーガール』という番組で知って、気になっていた島がある。
ネットであれこれ調べたりせず、地元っぽくふらっと行ってみよう。

那覇市の泊港から、フェリーで九〇分。
慶良間諸島の阿嘉島に着くと、港の青さに驚く。
ケラマブルーとは聞いていたけれど、ビーチだけじゃなくて、島をかこんでまるっと、海が青や緑に透けている。

「自転車で15分で一周できちゃう」という自分が読んだナレーションを確認しようと、宿で自転車を借りた。
本当だった。
宿は数件しかなく、ひとり客は相部屋が当たり前らしい。
飲食店も当然少なくて、昼食は漁協の売店で食べた。
ケラマジカにしっとり見られた。
シカに見られると、どうして質問されている気持ちになるんだろう。
自転車で隅々まで走りまわるのが、楽しい楽しい。
でも早々に、走り終えてしまった。
宿にもらった地図を見ると、阿嘉島から隣りの慶留間島まで、橋を渡って行けるようだ。遮るものがなく地面の照り返しも含めまさに全方向から強烈な日差しをくらい、大汗をかきながら、百メートルちょっとの阿嘉大橋を渡った。


阿嘉島は一九四五年三月、沖縄戦で米軍が最初に上陸した島だ。
そしてこの島の集落では、集団自決は行われなかった。
慶留間島は、そうではなかった。

橋のたもと近くには陸軍の特攻艇が隠されていた壕の跡が、集落の手前には「伊江島村民収容地跡記念碑」がある。
翌四月に米軍が伊江島を占領、伊江村民が捕虜としてこの島に収容されていたことを知った。
収容はそれから1年。
東京ではもう、戦後が始まっていただろうに。


集落の奥、海岸へ降りる前に自転車を置く場所を探していたら、左手に建物があり、門の奥に海が見える。
「慶良間小学校」の看板。
校庭が砂浜に続いている。
なんて素晴らしいとのぞいていたら、「入っちゃダメなんだよ」。
男の子がこちらを見ていた。
二年生ぐらいだろうか。
「大丈夫、入らないけど、自転車止めたいだけ」「名前なんていうの」。
意表を突かれて姓だけ答えると、姓&名をはっきり名乗られた。

とうま君は真っ黒に日焼けして、白いTシャツの胸にはモノクロ写真のプリント。
そして指示に従い、海に面して立つ集会場の横に自転車を止めて、海のほうに行こうとするとついてきた。
建物の周囲をかこむ側溝を指し、「ねえ、ここの水、どこからつながってると思う?」
一緒にのぞきこんで「わかんないねえ」と応じると、「捜査しよう!」
巻き込まれた。

「わかんない」を「教えて」に聞くなんて。
返事も聞かずに勝手に巻き込むなんて。
漫画や映画でしか見たことがない展開。
ついていくしかないじゃない。
とうま捜査官が水の流れをたどるのに、私は同行する。
「水が増えたり減ったりするね、不思議だね」と捜査に協力する。
捜査結果は察しているが、言わない。
とうま捜査官も 実は知っているのかもしれないが、大事なのは協カすること。
そして、結論にたどりつく瞬間を共有すること。
 
とはいえ、強い日差しのもとで下を向いて捜査を続けていたため、後頭部の熱さがいよいよ堪え難くなり、私はスイッチを押す。
「海のほうとかかなあ」、とうま捜査官がさっそく発見する。
「ここの水は海とつながってるんだ!」
捜査は無事終了。
捜査官も解雇。
すると、すこしの空白も許さず「公園行くよ!」
答えを聞かずにいきなり宣言するのは、私がついてくるって信じてるから。
信じてくれるなら、ついていくしかないじゃない。
こんなデートを夢見てた。

走り出したとうま君を追う。
映画『フォロー・ミー』でトポル探偵がミア・ファローを尾行してたどりつくロンドンのケンジントン公園は広いが、この公園は小さく、芝生の緑が濃い。
駆け込んだのは公園の外れで、椅子と机、机の上にはガラス瓶がある。
「研究所かな」「うん、研究所だよ」、その瞬間からそこは謎の研究所だ。
ガラス瓶の中には、砂や小さな貝が入っている。
ふたを開けて匂いを嗅いだとうま君が「くさっ!」、私も嗅がされる。
臭い。
ひどく臭がる私が、とうま君を喜ばせる。

「こっちきて!」
公園に隣接する建物の階段下のへこみに入るように指示され、そこに収容されると、壊れた柵を足もとに立てられた。
「出られないよ」。
それは呪文で、謎の研究所の隣は牢獄になり、脱出不可能だ。
実験されてしまう、おそろしい。
助けを呼ぶ。
それなのに、「ちょっと待って」といなくなり、建物を一周して戻ってきた。
なにも変わってないが、実は建物の裏にはワカンダから瞬問移動してきたフォレスト・ウィテカーが居てヒーローになれるハーブを飲まされてきたのかもしれない。
もう一度助けを呼ぶ。

「助けるよ、男の子だから」。
柵は破壊され、私は救出された。
男の子が男の子だから助けてくれるなんて、ずっと前に思ったことがあるような気もするが、思い出せない。
でも、ヒーローが言うなら本当だ。
と思ったら、悪魔の研究所も牢獄も消えていて、このフェードアウトがなくすべてが食い気味のカットアウトという演出が心をかき乱してくるわけですが、公園の真ん中の丸いジャングルジムの真ん中にとうま君はいた。
「まわして!」

ところがだ。
どこからともなく、同級生くらいの女の子が走ってきて、とても勢いよくジャングルジムを回してしまった。
「上手だね」と声をかけたが、彼女は走り去った。とうま君を回していいのは私だけ、というメッセージをしかと受け取る。


それにもう、宿に戻る時間だ。
思いきって帰ると言うと、とうま君は足もとの貝殻を拾って、「あげる」。
きれい、ありがとう、でも帰ると言うと、今度は木片を拾って「これチーズだよ。あげる」。
たしかにそれは6Pチーズのかたちだけど、炎天下で遊んで頭がくらくらだ。

もう一度帰ると言うと、「なんか持ってるもの、ある?」
おみやげ欲しいのかなとバッグの中をさぐり、水中メガネをあげることにした。
渡すと、とうま君はそれを左手で掲げて、その周りに右手で大きく円を描いた。ここは空港検査場だ。
そして私はとうま君から、言葉をもらうことになる。

言われたその時は、おみやげ欲しいのかなと下世話な想像をした自分が恥ずかしくなっただけだった。
でも、阿嘉大橋を渡る 頃にはうれしくてにやにや笑ってしまい、夜に相部屋の女性と一緒に海へ出かけて阿嘉島の空からこぼれる星を見る頃には思い出して泣きそうになり、その後は女友達にこの話をしては「それ、天使でしょ」「理想の男じゃん」「ついに別世界に逃避か」と言われておっしゃる通りと自慢に鼻を膨らませ、もらった言葉を胸で温めている。

それは、実家をつくった気持ちのその奥を言い当てていた。
欲しいのは、必要なのは、それだったよ。
ありがとう。
水中メガネを返し、とうま君はこう言って私を見送った。

いじょうなしっ


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by hiromi_machiyama | 2018-07-16 08:57 | Trackback
映画レヴュー『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』         『母という名の女』
               『In Red』2018年7月号掲載



男女を超えてみせた女 女に囚われつづける女
 
女は。
男は。
日本人は。
関西人は。
港区民は。
射手座は。
B型は。
決めつける面白さというのはあるし、失望を慰撫してくれるし、根拠のない希望も時にはほしいし。

でも他人に向けるとなれば、話は別だ。
本人が変えられない属性にはめて決めつければ、容易にそれは差別に堕ちる。
そして、自分自身を枠にはめ歪めてしまうこともある。

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は45年前の史実の映画化。
女子と男子のチャンピオンが戦った。
プロレスじゃなくて、テニスでだ。

きっかけは女子と男子の優勝賞金の格差。
キャリアも人気も十分な29歳のビリー・ジーン・キングは格差に怒り、既存の協会を脱会、仲問と女子テニス協会を発足させる。

男女平等を訴える運動の高まりという時代の追い風を受けつつ、注目と非難を受けて奮闘する彼女に、挑戦状を叩きつけたのは55歳の元チャンピオン、ボビー・リッグス。
男性優位で当たり前でしょ、こっちが強いんだから、とビリー・ジーンを女性たちを挑発。

男女の戦いはどうなるのか。
それぞれが抱える家庭の事情、愛の困難とともに描いていく。

監督は青春映画『ルビー・スパークス』で、男子と女子の願望のすれ違いを描いた、夫婦コンビ。
現在も変革を求め活動を続けるビリー・ジーン・キングの英雄譚におさまりかねない題材を、女性蔑視に囚われた社会は男性にとっても苦しいよねと、笑わせながら浮き掘りにする。

ビリー・ジーンを演じるエマ・ストーンがいい。
強さと迷い。
恋の場面は、ロマンティックで痛みがあって、彼女のこれまでのどの映画のラブシーンより記憶に残る。
メタルフレームのメガネを真似したくなる。

ボビー役はスティーブ・カレル以外に考えられない。
悪態と狂騒の下の、歪みと痛みが愛おしい。
そして、アラン・カミングがこれまたハマり役の、女子テニス協会を盛り上げた実在のデザイナー。
その仕事ぶり、当時のファッションもわくわくする見どころだ。

「強い男、守られる女」という、今も社会を固めている思い込みを、非難するんじゃなく、実態に即してませんよね、幻想に縛られてるとみんながしんどいでしょ、と軽やかに否定する。
フェアで痛快な映画だ。

逆に『母という名の女』は「女」 が暴走するホラーである。

女は、「守られるべき」存在として押さえ込まれなから、母性本能という「守る」能力も同時に期待されている。
この矛盾も厄介だが、そもそも各自が本能を制御することで秩序が保たれているはずの社会で、「本能」を期待されるのも、また矛盾。
 
そして、最近の社会は女に「ずっと若く美しく」も要請する。
恋愛市場で現役としての価値を持つことも、奨励する。
すべては、消費を促すため。

この映画の母、アブリルはそんな社会の期待を全部満たしている。
娘二人を育て、早くも孫を持つことになり、美しく色っぽいヨガのインストラクター。
その彼女が欲望を、さらに追い求めたらどうなるか。

幼子を抱く母。
それが最高に美しい姿だと社会が讃えるなら、それを目指すのが、欲望の果てとなる。

前作『或る終焉』で、「高齢化社会で人間がよく生きる」難しさを物語にして強烈なラストをかましてみせたメキシコ出身のミシェル・フランコ監督。
今回も「女と本能と社会」という厄介な問題を、理屈からスリリングな物語に昇華。不穏がじわじわと侵食、ぞっとする結末が。

男、女、母。
なにかの枠の中におさまるのは、安心。
自分という点に立つとぐらぐらしてこわいけれども、点に立てる人はかっこいい。

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by hiromi_machiyama | 2018-07-15 19:54 | 雑誌原稿アーカイヴ | Trackback
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放送作家・町山広美の日記
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